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2010年3月27日土曜日

精神科医が書いた2冊

①大人のための文章法―和田秀樹
・自分の中の知識をすべてはき出すように文章にしても、そんなものはだれも読んでくれない。知識というのは情報とイコールではない。情報の価値は見せ方によって決まる。(58頁)
・誰かが読む文章を書くという前提で考えると、相手との関係をこの共感をベースにいかに成熟したものにできるかというのは重要な問題になる。(72頁)
・考える力も確かに大切だが、それだけで勝負できるほど世間は甘くない。独創的な発想など人に勝るものがなければ何かで補わなければならない。それには知識を豊富に身につけることが一番。第一、十分な知識がなければ独創的な発想など浮かんでくるものではない。(181頁)
・インターネットから得られるのは知識ではなく単なる情報にすぎない。そのものに対して考察をおこない、理解して頭の中に入れることができたときにはじめて、それを自在に使いこなすことのできる知識にすることができる。(187頁)

要するによく考えろ、ということか。
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②文章は写経のように書くのがいい―香山リカ
・書く目的はまず自分にわからせよう、ということ。

もう読むことはないだろう。
そんなことを読了後にまず考えた。といっても駄本と言う意味でいっているのではない。著者が本書内で「論文は型にはめて書くから“それっぽい論文”を書くのは全くむずかしくはない」と言っているその“論文”を書くのに四苦八苦しているわたしがそんなおこがましいことを言う気は毛頭ない。語り口がとても軽快で、非常に読みやすく、すっと心に入ってくる。書くこと自体にそんなに抵抗を示す必要はないんですよ、何でも書けばいいんですよ、と本書は教えてくれるのだ。まず書くことから。私は書くことに抵抗はなく、こんな駄文をだらだらと日々書き連ねており、私を知っている人が見れば「そんなことやってないで、あれとこれはどうなってるんだ」と叱り飛ばしたくなるだろう。だが、著者が本書内で述べているように、書くこと自体が“セラピー”の効果を持っていると思うから私も書く。ストレス発散の方法として1日くたくたに働いて、帰宅しての「まずビール一杯」や「まずテレビでもつけるか」に近い。本書では「日常のエピソードをくだらない川柳にして何10冊もノートを綴った患者さんのエピソード」が紹介されていたが、書いてある内容は二の次で書くことの第一義は“自分セラピー”である、という著者の考えには同感だ。