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2010年6月19日土曜日

走ることについて語るときに僕の語ること - 村上春樹

オレンジ色の人たちはやはり強かった。

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誰もが人生の何らかの時点で、内なる炎が消えることがある。しかし、別の人間との出会いによって、その炎は再び燃え上がる。我々は、内なる精神を再燃させてくれる人に感謝しなければならない。(アルベルト・シュバイツァー 「スピード・オブ・トラスト、スティーブン・M・R・コヴィー p487からの引用)

それが生身の人間である必要は必ずしも無い。日常は同じような世界と同じような人間同士の社会生活の繰り返しのため、新しい刺激はどうしても限られる。それが勿論悪いことだとは露とも思わない。刺激だらけの生活は「集中すべき仕事の集中力」を大いに削がれる。ルーチンな環境でのルーチンワーク、それにちょっと辛い刺激のある山葵が少しあるくらいが丁度よい。

「別の人間」との出会いが安価に、しかも相手の都合を気にすることなくできる本というものは素晴らしいものである。その「別の人間」が村上春樹氏でも勿論よいわけである。氏が2005年-2006年に書いた「走ることについて語るときに僕の語ること」は、先日のマラソンで草臥(くたび)れちまった私に、マラソン魂の内なる炎を燃え上がらせるきっかけになった本である。これまでの著作の文体からは、氏がそれ程のランナーであるとは全く想像できなかった。そのため、1日平均10km走っていると書いてあるだけで私には驚きの1冊だった。また「走ることは仲間や相手や特別な道具や装備、特別な場所がいらないという利点がある」と書いており、全く気取っていないところも親近感が沸き、読んでいて非常に楽しかった。(これはまさに私がランニングを始めたのと同じ理由だ)

小説家として生活しており、好きな時間に自宅で一人で仕事ができるから、満員電車に揺られて朝夕の通勤をする必要もないし、退屈な会議に出る必要もない。(略)それに比べたら、近所を1時間走るくらい、なんでもないことじゃないか。(p73)

と、イエスキリストが死んだ33歳から、氏は走り始めたそうだ。
よし。また、ちょっとやる気が出てきた。フルマラソンへの道は長いが、一歩一歩すすんでいこう。