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2012年12月30日日曜日

(雑) まぁ・・・

私にとっては「未来」に票を投じた人が300万人以上いたことが一番の驚きでした。こうなることは120%わかっていたと思いますが…。

2012年12月27日木曜日

(本) 森の生活(Walden; or, life in the Woods) - ヘンリー・D・ソロー(Henry David Thoreau)

先日読んだ「知の逆転」の中の1人が、本書をおすすめしていました。そこで、書棚で積読状態になっていたものを引っ張りだして再び読んでみました。


 It's not all books that are as dull as their readers. There are probably words addressed to our condition exactly, which, if we could really hear and understand, would be more salutary than the morning or the spring to our lives, and possibly put a new aspect on the face of things for us. How many a man has dated a new era in his life from the reading of a book. The book exists for us perchance which will explain our miracles and reveal new ones. The at present unutterable things we may find somewhere uttered. These same questions that disturb and puzzle and confound us have in their turn occurred to all the wise men; not one has been omitted; and each has answered them, according to his ability, by his words and his life. Moreover, with wisdom we shall learn liberality.(p.70)

というところを佐渡谷重信氏の訳に助けていただくと、

 すべての書物が、その読者と同様につまらないというのではない。なかには、われわれの状況を適切に語りかけてくれる言葉もおそらくあるだろう。そうしたものに本当に耳を傾け、理解することができれば、われわれの生活にとって、朝や春よりも遥かに有益であり、もしかしたら、万物の様相を一新させるものかもしれないだろう。如何に多くの人々が読書することで自分の人生に新時代を築き上げてきたことか!書物が存在するのは、恐らく、われわれが奇蹟としていることを説明し、新しい奇蹟を啓示してくれるからだ。現在、言葉で表現できないようなことが、どこか別の場所で語られたことに気づくかもしれない。われわれを混乱させ、悩ませ、困惑させるのと同じ問題が、すべての賢人たちにも、それぞれ順番に発生していたのだ。一つとして疎かにさせることはなかった。一つ一つの問題に対して、自分の能力に応じ、自分の言葉で、自分の生命を傾けて答えてきたのである。さらに英知によって、寛大さを学ぶだろう。(p.164)

うーん、死ぬまでに本書を十分咀嚼できるでしょうか…まぁ一歩ずつ進んでいこうかな。

2012年12月26日水曜日

(音) 真似から始めたっていいんです、続けていれば ~ 10月の音楽まとめ(LOUDPARK 12含む)

2ヶ月前に書きかけて放置していたものに加筆しておこうと思います。

***
ASAでワシントンD.C.に行ったその日。10月の中旬です。
ホテルで一息つく暇なくN先生と小走りで向かったのが「The Kennedy Center」というコンサートホール。ホール最寄りの地下鉄から歩いていったのですが、周りは暗くて案内もなくて道に迷いそうな状態。おまけに東京より大分寒い日でした。


当日のプログラムは以下です。

Wagner:Wesendonck Lieder (ヴェーゼンドンク歌曲集)
Bruckner:Symphony No. 7 in E major, WAB 107 - National Symphony Orchestra (conductor: Christoph Eschenbach)

ブルックナーの交響曲は殆ど聞いたことがなかったので、事前に音源を貸していただいて予習してから行きました。「交響曲第7番」を以下の4バージョン聴いてみました。

・朝比奈隆: 東京都交響楽団のもの、大阪フィルハーモニー交響楽団のもの
・マタチッチ: チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
・カラヤン: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

この中では朝比奈隆氏の東京都交響楽団のものが1番魅力的に聴こえたので、10月の前半はそればかり聴いてました。クラシックは色々な演奏家のものを聴き比べることを楽しむらしいのですが、それがほんの少しだけわかった気がしました。恐らくそう書くほどにはわかっていないと思いますが。

当直明けのワシントンD.C.でしたが、曲の大枠のメロディを事前に知っておいたおかげで、安心して音楽に身を委ねることができました。第2楽章がやはり自分のお気に入り。ワグナーは途中少し意識を失ってしまいましたが(これは予め予習してなかったためか、集中力がなかったか、だと思います)。

***
別の日にはジョージタウンにあるBlues Alleyという伝統ある(らしいです)お店で、Jazzの生演奏を体験しました。



体験したのはRoy Hargrove氏のトランペットの演奏。CDでJazzを聴くと途中で拍手が入ってくるのが不思議だったのですが、バンドの目の前で音楽を聴いてみてその理由がわかりました。improvisation(という言葉を友人に教えていただきました)が素晴らしいと自然と拍手したくなります。どこからどこまでが即興なのか私には全然わかりませんでした。

帰国してからRoy Hargrove氏のCDを手に入れました。「Earfood」です。その中に収録の「Divine」の動画です。

とワシントンで2つの生演奏を体験しました。芸術音楽もジャズも素人同然ですが、素人なりに楽しめた気がしました。


***
そしてLOUD PARK12です。


ラウドパークは今年で開催7回目、日本唯一と言われているヘヴィメタルフェスティバルです。これまで、開催日が自分の他の予定とバッティングして行けなかったのですが、今年遂に!参加できました。朝10時半から夜21時半まで、計17バンド出演してました。

・・・とはいうものの日当直明けに研究室で実験してから向かったので、前半出演のNaglfarやHibriaやDragonforceなんかの演奏時間には間に合わず、カナダのモントリオール出身extreme death metalバンドのCryptopsy(クリプトプシー)の演奏途中から、という中途半端な参加でした。

Dragonforceは新譜も聞いてないし、かなり前に興味を失っていたのですが、大分人気があるバンドなので、どんなものなのか見てみたかった気もします。この曲「Through the Fire and Flames」なんか5000万回以上再生されていますよ。信じがたい。


会場のさいたまスーパーアリーナにはUltimate stage、Big Rock stage、Extreme stageと3つのステージがあったのですが、お目当てのCryptopsyはデスメタルですのでExtreme stageでのプレイ。ですがそのExtreme stageが何処にあるのか全くわかりません。会場入ってすぐのInformationコーナーにいる若いおにーちゃんに尋ねました。親切に教えてくれましたが、周りの騒音とあいまって、どこに行ったらいいのかよくわかりません。まぁいいやと、おにーちゃんが指差した方向に向かってふらふら歩いていくと辿り着けました。

着いてみるとステージ前方はひとひとひと。人だかりでCryptospyに近づけません。こんなに多かったのかCryptopsyファン。前方の人たちは一心不乱にへどばんしてるようでした。前には到底行けそうにない。仕方ないのでビール飲みながら会場の後ろの方で床に転がって楽しむことにしました。

周りを見ると私より断然くつろいでいる人たちが大勢居ました。
・床に寝転がって前後不覚で寝ている人
・壁にもたれて体育座りになって微動だにしない人(朝から来て騒ぎすぎて生命力が枯渇した?
・スマホに夢中になってる人(しかもイヤホンして完全に自分の世界に入っています)
・酒のんで大声で喋りまくってる人(バンドの演奏の音で殆どかき消されてますが)
・恋人とハグしている外人さん

夢中になってへどばんする必要はないようです。LOUD PARKはいろんな楽しみ方が許される自由な場所だと知りました。

んでせっかく来たのでCrptopsyの演奏に注意を戻してみたのですが、ほろ酔いも手伝い、この曲わかんないなー、これもわからんなーと何曲かぼぉ〜っと過ごしてるうちに「Cold Hate, Warm Blood」が始まったではないですか。
生で聴いても、ヴォーカルは何を言っているのか全くわからず、Flo Mournier(フロ・モーニエ)のドラムはスタジオアルバムよりも鬼気迫る超高速ドラミング(ちょっと音質悪いですが下のような感じ)でした。



そして最後にはPhobophile。もうこの二曲だけで来た甲斐がありました。

なんだかこのstageの音響イマイチだなぁ…と思いつつも、Dir en grey(ディルアングレイ)の演奏を一度生で見てみたかったので、Extreme stageに居続けることに。

・激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇
・Lotus
・Different Sense

とメジャーな3曲が立て続けに演奏されるという大サービスっぷりで始まりました。それだけでもうお腹いっぱい、かつ、スタジオ盤では気に入っていた「Different Sense」の1:50−2:25のギターソロで思ったほど感動できなかったので(調子悪かったんでしょうか…)、浮気して、同時間帯にUltimate stageで演奏しているはずのIn Flamesを見に行く事にしました。

Dir en Grey。15年前は初期の黒夢のコピーバンドみたいな音楽やっていたのに・・・色々な音楽を消化して今のスタイルになるまで、どれ位の道のりだったのでしょう。時が経つのは本当に早い。もっともっと大きなメタルバンドになってLOUD PARKのおおとりなんかやってもらいたいです。

で、途中からUltimate stageのIn Flames。椅子に座って参加。Ultimate stageとBig Rock stageは横並びになっていて、同じ空間にありました。なんだ、Extreme stageだけ隔離されてたんじゃん。


In Flames。
遥か彼方のステージにバンドが見えます。スクリーンに映し出されるAnders Fridenの圧倒的な存在感。うむ、かっこよし。そしてとっても音がいい。遠くから聴いてるせい?
すぐに思い出せない曲も色々ありましたが、「Bullet Ride」と「Embody the Invisible」が途中で立て続けに演奏された時には、流石にうるうるしてしまいました。この2曲は日本のファン向け?でしょうか。彼らの故郷である欧州でもプレイされてるんでしょうか。そういえばセットリストの最後の方に「Take This Life」演奏してました。この動画も1000万回以上視聴されてるんですか。確かにライブだと映えましたね。



そしてその後はHelloweenです。アルバム「The Dark Ride」発表後の来日の際に、一度だけ渋谷でのライブに行ったことがありましたが、あれから既に10年以上経っています。あの頃はまだローランド・グラポウとウリ・カッシュがバンドにいたのですが。

今回のライブ自体は記憶の中の渋谷でのものより、何十倍も楽しめました。

セットリスト
・Are you Metal ?
・Eagle Fly Free
・Where the Sinners Go
・Power
・If I could Fly
・来年出るアルバムの新曲
・Drums solo
・I'm Alive
・Steel Tormentor
・Future World
・I Want Out
-encore-
・Dr. Stein

新曲以外全て分かったので楽しめましたが、何なんでしょう、このセットリストは。今思い出しても腹立たしいです。
バンド黎明期からのファンなら喜ぶのでしょうけど、ドラムソロを除く11曲の内、5曲がむかーしむかしのキーパーアルバム2部作からです。アンディ・デリス加入後のアルバムにいくらでもいくらでもいくらでもいい曲があるのに、何故マイケル・キスクが歌ってた頃の曲をこんなにやらなくちゃいけないんでしょう。しかも選曲だって…Where the Sinners GoやるならWho is Mr. Madman?でしょ、Future WorldやるならMarch of Timeでしょ、Steel TormentorやるならKings will be Kingsでしょ、Dr. SteinよりMr. Tortureでしょ。
他にも物申したいことはいくらでもあるけれど、Helloween自体、LOUDPARK出演が初めて?だという話ですし、ファンなら誰もが知ってる有名曲ばっかりに徹したのはある意味正解ですね。いくらいい曲だとしても13分超の「The King For A 1000 Yearsとか演ったら絶対興ざめになるだろうし。


まぁ文句ばかり書いてしまいましたが、アンディ・デリスがマイケル時代の曲をうまく歌えようと歌えまいと、楽しい事この上ないライブなのは流石でした。来年は新譜が発表されるということでGamma Rayと一緒に来日するらしいですが…多分見に行かないでしょう。

そしてこの日のオオトリはSlayerでしたが、門限に間に合わなくなるために聴かずに帰りました。また会おう、Slayer。

2012年12月24日月曜日

(音) 今年の曲〜デスメタルとブラックメタル編

クリスマスイブにデスメタル。別に嫌がらせでもなんでもありませんのでお許し下さい。

例によって
曲名/ バンド名/ 収録アルバム名/ 発表年です。YouTubeのリンク切れはご容赦ください。

***
Forget Not / Ne Obliviscaris / Portal of I/ 2012
2012年に発表された中で、1番のメタル曲はこれ。これがこのバンドのデビュー作ということですが、2作目はどうなるんでしょう。もうこれ以上のものはできないんじゃないでしょうか。聴き始めた当初はアルバム自体がとても良いように感じましたが、何度も何度も聴いたところ、この曲が最終選考に残りました。
ということでアルバムのハイライトはこの曲です。12分ありますが、6分過ぎまでバイオリンフィーチャなインストです。6分19秒からようやく歌が入ります。前半は非メタルの方でも十分いけると思います。

Revelation / Brail Drill / Apocalyptic Feasting/ 2008
このアルバムはどの曲も頭がおかしいです。デスメタルですので、あまり真に受けないようにしてくださいね。こういうの、絶対嫌悪されるんだろうなぁ、と思いつつも紹介してしまう私。

Damned Draft Dodgers / Cryptopsy / Cryptopsy/ 2012
これもデスメタルです。待ちに待った新譜から。その割にはB級ホラーのBGMにでも使われそうなフレーズが途中に降臨する(2:41-2:48の部分)この曲くらいしか楽しめずちょっとがっかり…。性懲りもなくまた次作に期待します。2ndアルバム「None So Vile」を超える名盤を生み出すのは、きっとCryptopsyではなく、後続のデスメタルバンドなんでしょうね。

The Transfiguration Fear / Sigh / In Somniphobia/ 2012
ブラックメタルです。アヴァンギャルドというジャンルにも分けられるようですがよくわかりません。少なくとも上で紹介した2曲よりは圧倒的に聴きやすいはずです。2:08−3:37あたりの間奏なんてなかなか思いつけない気がします。
新譜の中ではこの曲が一番わかり易くて好きです。日本のバンドなんですが、非メタルな人たちには知名度ゼロでしょうね。このセンス。我が国の至宝かと思いますが。


Pure / Mors Principium Est / The Unborn/ 2005
もう7年も前に発表されていたんですか。完全にスルーしてましたが、今年初めてレンタルして聴きました。まさにメロディックデスメタルな1曲。期待を裏切らない安心感がいいですね。
このバンド。もう解散していたのかと思っていましたが、今年新譜を発表していたんですね。後でチェックします。
このジャンルの音楽は閉塞感が漂ってましたが、今後どうなるんでしょうか。心配ですが同時に楽しみでもあります。

2012年12月23日日曜日

(音) 今年の曲〜アート・ロック、ゴシック・メタル編

前日に引き続きのまとめです。YouTubeの動画はリンク切れになる可能性があるので、ご容赦ください。

曲名/ バンド名/ 収録アルバム名/ 発表年 の順です。

Andante (most dear lady)/ New Trolls/ Concerto Grosso: Live/ 2002
この曲はもう出会って6−7年になるのですが、今日たまたまYouTubeでアップされているのを発見したので、ここに紹介したいと思います。私にとって特別な思い入れがある曲です。


***
あとは今年出会った曲からのチョイスです。

Precious / Paatos / Breathing /2011
1st albumの「Hypnotique」とどちらにしようか迷いましたが、こちらに。


やっぱりHypnotiqueも紹介したいと思います。動画は動きませんが。
Hypnotique / Paatos / Timeloss /2002



WhiteOmega / Moonspell / Omega White/ 2012
「Omega White」は今年1番聞いたアルバムの1つですね。


Forsaker / Katatonia / Night Is The New Day/ 2009
ジャケットほど暗くないですよ。


Planet Hell / Nightwish / Once/ 2004
今頃になってTarja時代のこの曲が好きになりました。映画音楽のようなイントロも好きですが、chorus(サビ)がいいです。今年になってAnette Olzonも脱退しちゃいましたし、今後のバンドの動向が心配です。





2012年12月22日土曜日

(音) 今年の曲〜ロック編


ロックはあまり多く聴きませんでしたが、いくつかいいものに出会ったので、ここに紹介したいと思います。
曲名/バンド名/アルバム名 の順です。

Endless Symphony / Ten / Stormwarning: オーソドックスな作りですけど、この哀愁はたまらないです。


こっちはバラードです。
Jenny's Eyes/ Last Autumn's Dream / A Touch of Heaven


これもバラードですね。スペイン語がいいです。
Asilos Magdalena/ The Mars Volta/ Amputechture

ギタリストのSteve Harrisは昨年10月に脳腫瘍で他界してしまいましたが、この曲をはじめ、本作は良質なメロディの宝庫です。
Live For Me / Shy / Shy

この曲はQueenみたいなコーラスがいいです。来月の来日が楽しみなバンド。
Knights Of Cydonia / Muse / Black Holes And Revelations



2012年12月21日金曜日

(本) 今年の本15冊+あるふぁ

今年もあと10日ですね。ということで今年、特にお世話になった本を本棚から取り出してみました。目を通した300冊ちょっとの中からの選出です。


http://fragilemetalheart.blogspot.jp/2012/06/2012.html
に上半期の本を選出していましたが、3冊が既出、残り12冊とは7月以降に出会った本でした。否、サロメは上半期に出会ったけど、その後順位アップしたんですね。

7月以降の方が実りが多かったのでしょうか。いや、11月になってからは「TIME」を読み始めたり、通学時間はPodcastで英語リスニングに当てることが圧倒的に増えたので、10月くらいまでの結果ですね。思い返すと殆どの本は電車での移動中に読んでました。「モモ」は夏休みの最後に、靖國神社の境内のベンチで読みました。


***
先日ジャケ買いしたこの本が思考の幅を広げてくれました。正月に読もうと思っていたのですが、あっという間に読めてしまいました。こんな贅沢なキャスティングのインタビュー集を日本語で読めるなんて、本当にありがたいことです。


残る課題としては、積読になってる本が数10冊ありますので、一仕事、目処が付いた年末年始に消化できれば。

そして来年の目標は、選出本の中に洋書が入ってくればいいな…と。今年は日本語で読んで面白かった本の英語版を読むのが精一杯でした。

2012年12月13日木曜日

(麻) 麻酔導入前の脈圧が大きい患者ではSVVの信頼性が低下する

ちょっと前に読んだ論文のメモです。実験の合間の1人抄読会です。放置していたので加筆して残しておきます。

韓国のDr. Kimらの報告。
Effect of pulse pressure on the predictability of stroke volume variation for fluid responsiveness in patients with coronary disease
J Crit Care. 2012 Oct 30. pii: S0883-9441(12)00321-8. doi:10.1016/j.jcrc.2012.09.011. [Epub ahead of print] PMID: 23122680

冠動脈手術を受ける患者さんたち(心収縮能自体は良好)を、麻酔導入前のpulse pressure(PP: 脈圧)の大小によって2群に分類。そして麻酔導入後に、輸液反応性を検証したときに、脈圧の大小がSVVの信頼性を変化させるか、を検証しています。

本論文では 脈圧≧60mmHgをwide PPと定義しています。輸液負荷はvoluven(中分子の人工膠質液) 500mlを15-20分で施行し、SVVはFloTrac/Vigileoで測定。「輸液反応性あり」の定義はPACで得られたΔSVI≧12%の上昇としています。

結果としてwide PPの患者で輸液反応性有りは、SVVのAUC=0.609 (normal PP では0.808)と低い値を示しています。

PP(脈圧)の上昇と関連する状態にはどんなものがあるかというと・・・高齢、LVEF高値、女性、MIの既往、DM、高血圧、Ca拮抗薬の使用などがあるようです(本論文のdiscussionより)。
本論文ではwide PP群でhigh EF、女性の比率、DM、Ca拮抗薬内服患者が有意に多く、それが結果に影響している可能性はありますが、それらの交絡因子を除いて解析しても同様の結果となった・・・と著者らは書いています。

また、研究の限界として
・輸液負荷前にノルエピネフリン投与されていた患者がいた
・FloTrac以外のデバイスで得られる(例えばPiCCOplus)SVVには拡大適応できない
・動脈エラスタンスをより良く把握するためにはPPVも測定すべきだった
を挙げています。

結果の解釈が難しい論文です。
術前にwide PPな患者さんたちは一般的に動脈壁コンプライアンスが低いですし、そのような患者さんたちのほうが麻酔中の血圧のup downが激しく、麻酔管理上、重症であることが多いです。そういった患者さんたちのSVVの信頼性が低いかもしれない・・・とすると輸液投与量の判断が難しくなりますね。

本論文では麻酔導入前のPPを測定してますが、麻酔覚醒後ってどうなんでしょう。
もしかすると、所謂high risk patientといわれる方々では、麻酔中にSVVなどの動的パラメータを低く保って管理しても(これ以上輸液してもSVやCOは上昇しないだろうという状態を目標とした輸液管理)、それが麻酔覚醒後の状態に対してもよいことなのか-つまり術中の輸液最適化が麻酔覚醒後の輸液最適化と本当に相関があるのか、という疑問が生じます。そのへんがよくわかっていないということが、もしかすると昨今のモニターによるGDTによって術後の予後が良い、いやこれまでの管理と変わらない、という分岐点になっているのかもしれません。

2012年12月8日土曜日

(麻) 産褥期麻酔プチメモ

産科麻酔学会にはいけませんが、実地で学習しましたので、復習。

***
・妊婦のショックインデックス(SI):
1で1.5L、1.5で2.5Lの出血が推測される

・子宮摘出術:産褥出血における最終的な治療法。最も一般的な適応は癒着胎盤と弛緩出血

・産褥出血は急性凝固障害をきたすことが多い。ごく早期にFFP等の投与を行うこと

・循環血液量が減少している産褥出血に対してオキシトシンの静脈内ボーラス投与は危険。全身投与するときは希釈して持続投与にする

理由:オキシトシン受容体は子宮筋だけでなく、心筋、血管、乳腺、CNS系にも存在する。血管平滑筋を直接弛緩し、房室伝導と心筋の再分極過程に作用するため、低血圧と頻脈をきたす。

おまけ
・マレイン酸メチルエルゴメトリンの副作用:嘔気嘔吐、血管収縮、重症高血圧、肺高血圧、肺水腫、痙攣

・プロスタグランジンF2αの副作用:下痢、嘔吐、悪寒発熱、気管支攣縮

参考:周産期麻酔/克誠堂出版 2012年p336-346

2012年11月26日月曜日

(雑) 麻酔科なくなりますか

11月1日に仮登録して放置していたら、いつの間にか今週金曜日には締め切りではないですか。何とか間に合うかな…。

***
先日、会議で、とある先生が「麻酔科が20年先もあるか気になります」と発言しておられました。私も同感です。


COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 01月号

世界から「仕事」が消えてゆくとあります。最近こういうお触れをあちこちで見ます。ちょっと前に読んだ「ワークシフト」もそんな内容です。

クーリエ・ジャポン1月号のp31には「医者ですら、ロボットに仕事を奪われる日が来る!?」というコラムが掲載されてます。実際にはそうはなかなかならないとは思いますが、どうなんでしょうね。楽観的すぎますか?
ちょっと前まで(今でもおそらく)、医者の過酷な労働状況が現場からの声やマスコミの報道で取り上げられてましたが、今後はそういう国内だけの次元の話ではなくなるでしょう。そして過酷な業務の人はますます過酷に、成功する人はますます成功する。他の業界ではとっくにそうなっていますし。

ちなみにp38-41に10年後も食える仕事9つが挙げられていますので、興味がある方は読んでみると面白いと思います。勿論医者は入ってません。

医者ロボットは現場に導入されてもきっとお値段は高いだろう
→ロボットを買えない(田舎や収入の少ない自治体または民間病院など)場所では人が医療を行うだろう(ただし今より大分安い賃金で)

なので

・今のうちに田舎に適応して、「あんのせんせでねばだみだ(あの先生じゃなきゃだめだ)」と言われるようになっておく
・今のうちに稼いでおいて、医者を辞める準備をする
・今のうちに稼いで勉強して、いつでも国外に逃亡するスキルを身につけておく
・医者ロボットでは、臨終間際の医療はまだまだ苦手だろうから、そういう医療サービス(終末期医療)を高いレベルで提供できるように今のうちから研鑽しておこう

ということで、色々と周術期麻酔科医以外の未来を妄想するわけですが、妄想の手助けになるか不明ですが、この本を買いました。

麻酔科診療にみる医学留学へのパスポート (シリーズ日米医学交流)

タイトル通り、どちらかと言うと真面目な妄想をしたい人向けでしょうか。

今すぐ読みたいのはやまやまですが、抄読会の準備と原稿を書きます…。


2012年11月24日土曜日

(雑) 周誕生日期

LiSAの編集会議に参加させていただきました。2回目です。医局の歓送迎会に参加できず申し訳ありませんでした。
FacebookのLiSAのページにいいね!しておくと、いつ編集会議があるか分かりますし、「参加したいです!」と連絡すると(簡単に?かどうかはよくわかりませんが)させてもらえるようです。
 
私は実験の予定がずれ込む可能性が否定出来ないので、参加表明したことがなかったのですが、その日は朝7時前からノンストップで実験を続けていたため、何とか目処が付いて行くことができました。といっても主目的は編集会議の参加ではなかったのですが、成り行きでそうなりました。ぺいぺいのイチ麻酔科医ですし、ましてや編集委員でもありません。
 
結果的には、参加させてもらうことで色々と得るものがありました。臨床麻酔よりベンチで実験している時間のほうが長い自分ですが、「その場で取り上げられている麻酔に関する話題から取り残される感」というものはありませんでした。むしろ、あれ、それって有名な話題なんじゃないだろうか、とかあぁやっぱり自分の周りで語られているようなことと同じ様なことでディスカッションになるんだな。という親近感を強く感じました。編集委員の先生方が、どんな話題でもどんどん話を膨らませていくところを目のあたりにするのはいい刺激でした。こういうのをブレインストーミングっていうんでしょうか。
症例検討・徹底分析特集のネタについての意見を求められたので、参加した記念に2つほど提案してみました。編集委員の先生方に興味を持ってもらえたので、そのうち紙面にしてもらえるかもしれません。
 
LiSAは最近になって漸く自分で買うことにしました。
大学病院で働いてたときは麻酔科控え室に置いてありましたし、外勤先にも置いてあるのでタダで読むことはいくらでも出来るのですが、自分で買わないと読まないということが分かり、買うことにしました。買い始めて3ヶ月になりますが、読みたい記事いくつか読んで、全部読みきる前に次の月が来ます。結局自分で買っても読みきれません。読み切れないといえばIntensivistも読みきれません。本を端から端まで読むっていうのは、今の自分にはとても贅沢なことのように思えます。
 
*** 
だいぶ色づいてました。
 
 

Live as if you were to die tommorrow .
Learn as if you were to live forever .
 
マハトマ・ガンジーの言葉のようですが、全くその通りです。
誕生日のお祝いの言葉をたくさんいただきました。新しい1年もどうぞよろしくお願いします。

2012年11月13日火曜日

(本) 情報をさばく技術 - 木山泰嗣 (2012年、日本実業出版社)

著者は弁護士の方で、色々と著書があるようです。少し前に読んだ本ですが、本がどこかに行ってしまう前に、メモとして残しておこうと思います。

・「プロセス」を分析できるようになるには、コツがあります。「関連書籍」や「論文」などを読む中で、「ふっと思いついた疑問」「わきあがってきた疑問」を大事にするのです。p67
・「わからないこと」や「疑問点」を、まずはノートに書きます。p68
・自分のなかで「ひっかかること」を謙虚に受け止めましょう。p68
・全部を読むのではなく、あくまであなたがすべき仕事の「目的」との関係で、答えがでればよく、その答えをだすためにだけ読めばよいと考えましょう。
いっけんあたりまえのようですが、じっさいには「目的」を意識しないまま、情報の海に飛び込んでしまう人がほとんどです。あまりに大量の情報があるため、最初から気持ちが情報の海に飲まれてしまうからでしょう。p135
・こんなにたくさんの資料があったとしても、目的を達成できたのであれば、それ以上に読む必要はありません。全体の5%しか読んでないとしても、あなたがやるべきリサーチの目的が達成できたのであれば、それで終わりです。それ以上に読んではいけません。ムダな時間になるからです。p186

と書き出してみると、まぁおっしゃるとおりですよね、となりますが、資料や論文をどのくらい「読まないといけないか」を体でわかるようになるためには、ある程度の数をこなさないと難しいんじゃないかと思いました。情報の収集効率に関しては、私はまだまだ道の途中。

2012年11月6日火曜日

(麻) Nexfinでは、ショック患者の心拍出量測定は信頼出来ない、とする論文

Nexfinは、指先に装着したデバイスによって、無侵襲に血圧やstroke volume、cardiac output、systemic vascular resistanceなどを計測することができるモニターということです(BMEYEのホームページ参照)。ちょっと前のAnesthesiologyにも精度検証の論文が掲載されており、Q君が抄読会で担当しておりました。これはfree記事。

Noninvasive continuous arterial blood pressure monitoring with Nexfin®. Anesthesiology. 2012 May;116(5):1092-103. PMID: 22415387

そのNexfinについての論文。またしてもDr. Monnetが報告しています。

The estimation of cardiac output by the Nexfin device is of poor reliability for tracking the effects of a fluid challenge.
Critical Care 2012, 16:R212 PMID: 23107227

重症患者でNexfinが
・cardiac outputを予測できるかどうか
・輸液チャレンジ(生食500ml30分)に対してCOの変化を反映することができるか
の2点を、PiCCOで得られたデータと比較して検証しています。タイトル通り、どちらにおいてもNexfinはネガティブだったと結論しております。

・対象患者45人中、7人はNexfinで測定不能だった。
・残り38人中ノルエピネフリン投与患者は17人(45%)、量は0.4γ [四分位範囲:0.21-0.60]。
・ショックの分類:septic shock 33人、hypovolemic shock 5人

これまで、侵襲的モニターと同様にNexfinは信頼できるだろうと報告されていた論文では、手術室、人工呼吸やカテコールアミン投与終了後の心臓外科患者、CRT患者、エコー検査室、健康な人、が対象とされていました。ですが、今回対象となったショック患者においては、同様な結果を示すことができませんでした。それは恐らく敗血症による末梢組織の低灌流(ノルエピネフリン投与の有無にかかわらず)が影響しているのでしょうと考察しています。
***

最もデータを測りたい患者さんたちを対象とした本研究において、得られた値の信頼性が乏しかった、とはなんとも悲しいですが、そうした重症な患者さんたちでは侵襲的モニターや薬剤投与ラインが必要ですから、それほど悲観することはないんでしょうね。どちらかと言うと「もう侵襲的モニターいらないよ。でもちょっと心配」っていう状態の患者さんたちでの信頼性が高ければいいような気がします。

***
 

日曜日から鼻汁、咽頭痛、咳嗽が始まりました。
前回風邪が治ってから371日目でした。成人して以降、恐らく最長期間更新です。回復したらまたゼロから記録に挑戦します。

日本麻酔科学会総会用の演題。先週、ひとまず登録しました。締め切りまで3週間と少しありますので、修正を繰り返して完成させてみようかと。

2012年10月30日火曜日

(麻) 輸液反応性の評価信頼性についての論文

2つ出てました。

Pleth variability index is a weak predictor of fluid responsiveness in patients receiving norepinephrine.
Br. J. Anaesth. (2012)   First published online: October 26, 2012 PMID:23103777

今度はDr. Monnetからの報告です。ICUの敗血症患者さんをメインの対象とした研究。研究介入時のノルアドレナリン投与量はレスポンダー(この論文での定義=生食500mlを30分投与してCI≧15%以上の増加)で1.00 (0.62 – 3.4)γ、 ノンレスポンダーで0.68 (0.18 – 3.2)γとなっています。
タイトルそのもので結果もまぁそうですか・・・という感じではありますが、エントリーした42人中、7人ではPVI自体が測定できなかったとあります。

***
Prediction of volume responsiveness using pleth variability index in patients undergoing cardiac surgery after cardiopulmonary bypass.
J Anesth. 2012 Oct;26(5):696-701 PMID: 22588287

Dr. Haasからの報告だとPVIはSVVと相関性ありと結論しています。心臓外科待機手術患者さんのCPB離脱後においてPVIは信頼出来るか、を検証しています。コロイド4ml/kg投与してCI≧10%の上昇を輸液反応性ありと評価していますが、CPB後の不安定な状況(心拍数や右心不全の存在)ですから、PVIもSVVも特異度、陽性的中率は低いものとなっています。

SVVやPPVはもう「大体こんなもんだ」ということにして、PVIやNICOMの信頼性を検証するのが最近のトレンドなんですかね…。

2012年10月25日木曜日

(麻) 一部分だけ無侵襲に分かっても意味ない?

11月号のAnesthesiologyですが

Anesthesiology. 2012 Oct 4. [Epub ahead of print]  PMID: 23042225
Comparison between Respiratory Variations in Pulse Oximetry Plethysmographic Waveform Amplitude and Arterial Pulse Pressure during Major Abdominal Surgery.

PPVとΔPOP(パルスオキシメータから得られるdynamic parameter)の相関性を開腹術で見ています。ΔPOPはPPVとの相関性に乏しいということです。無侵襲にかつ信頼性をもって輸液反応性が判断できるようになるのはもう少し先なんでしょうか。PPVも限界がある状態ですし・・・。ASA2012でもパルスオキシメータから得られる動的パラメータとSVVとの相関性が低いというポスター発表を拝見しましたし・・・。

上記論文についてのeditorialはfreeで読めます。Dr. Cannessonが記載してます。
Anesthesiology: November 2012 - Volume 117 - Issue 5 - p 937–939
Noninvasive Hemodynamic Monitoring: No High Heels on the Farm; No Clogs to the Opera.

その中でDr. Cannessonは以下のように書いています。
Consequently, such a subtle hemodynamic parameter as ΔPOP will probably not replace the arterial line in the near future. This is probably the main message carried by the Hengy et al. study; choosing the most appropriate hemodynamic monitor is context dependent (“no high heels on the farm; no clogs to the opera”). During high-risk surgery, invasive and more robust signals should still be preferred. However, there is no justification in using invasive lines in patients who are at lower risks. As recently demonstrated by Hood et al., a noninvasive parameter such as ΔPOP still has significant clinical potential in this less challenging and more standardized situation.

数年前には
Br J Anaesth. 2008 Aug;101(2):200-6. Epub 2008 Jun 2.
のconclusionsにおいて自ら、「PVI, an automatic and continuous monitor of DeltaPOP, can predict fluid responsiveness non-invasively in mechanically ventilated patients during general anaesthesia. This index has potential clinical applications.」
と書いておられたことからも、この分野はまだまだ発展途上・・・なのでしょう。

そもそも輸液反応性を手術中に見る必要があるのは、
・ハイリスク患者
・ハイリスク手術
・その両方が重なる時
です。
そういう手術中には、患者さんの輸液反応性だけ見られれば良いのではなく、Hb値や乳酸値や電解質、P/F比、血糖値などが必要です。ということでそれらの値も無侵襲に、しかも相当な正確性で測定できるようにならない限り、術中に無侵襲に輸液反応性が測定できるようになったとしても誤誘導される可能性が高いのでは。循環血液量だって患者さんごとに異なるし、手術中変わっていくし、術中の輸液は本当に難しい。
術中のgoal directed fluid therapyは行き詰まってる感がしますね・・・。

2012年10月22日月曜日

(雑) 久しぶりの大学にて

・・・当直明けの土曜日に研究室の培地交換に行きがてら、自分の棚を覗いてみると、小さな辞典ほどの厚さの封筒が。

宿題が入っていました。

***
課題は常にあった方がいい。(ベッキーの心のとびら、幻冬舎)

***
だそうです。宿題を形にしないと気分よく正月を迎えられなさそうな雰囲気なので、やってみようと思います。というか、やる、しか選択肢はないです。まずは書く内容に関連した論文や解説を渉猟して、全体像を把握することから始めたいと思います。一見すると自分の手に負えないような、こういう仕事の1つ1つを、出来る限り全力できちんとやっていくことが大事なんですよね。きっと。それに気づくのはいつもそれが終わって時間が大分経ってからなのでしょうけれども。


今年の頭3/4は、臨床麻酔、麻酔関連の仕事、基礎研究と家のことなどの複数のミッションを並行して進めることに難渋しました。今年の残り2ヶ月ちょっとは、それらのバランスをどうとって上手く進めていくか。try and errorしながら成長できればいいかな、と。やりたいことを余裕をもってやるには圧倒的に時間が足りませんが、それもこれも自分のこれまでの積み重ねですし、何を選んで優先していけば自分も周りもハッピーになるか、考えないとなぁ。

2012年10月20日土曜日

(麻) ASA annual meeting ~Anesthesiology 2012~ 雑感ほか

ブログの更新が暫く滞ってしまいました。


今回は自分の発表はなかったので特に呼ばれてなかったのですが、行かせてもらえる幸運に恵まれましたので、ラッキー!とばかりに行って参りました。今回でJSA総会参加回数とASA annual meeting参加回数がともに3になりました。
日当直明けにふらふらしながらD.C.行きの飛行機に乗り、帰ってきた翌日には時差ボケする暇もなく、10時間半ほどの手術の麻酔を担当しました。
アメリカの食事を沢山食べましたが、出国前と帰国時とで体重が殆ど変化ありませんでした。奇跡です。恐らく学会場やD.C.の街の中を毎日14000-20000歩くらい歩いたせいです。地下鉄・タクシー・バスは勿論、街の中を走っていますが、徒歩30-40分くらいの範囲に色々とあるせいで、結構歩いてしまいました。

 
今回ASAに参加した目的を強いて挙げるならば、今、立ち上げようとしている新しい研究に関連した演題を聴きに行って最新の情報を得ることでしょうか。それと友人のposter discussionでの勇姿をカメラに収めること。彼はe-poster discussionでの発表だったのですが、それが微妙でした。彼の発表が微妙なのではなく、e-poster discussionはポスターをデジタル画面に映して、そのモニタの前で発表、討論するというものでしたが、そのモニタが通常のASAでのポスターサイズより小さいのです(下の写真のような感じ)。ということで文字やfigureも小さくてよく見えない。紙か布のポスターで普通にやったほうがいいんじゃないかと思いました。ASAも発表スタイルについてtry and errorしている最中だと思えば楽しめるのですが、演題の内容をよく知らないで聞きにくる聴衆には若干酷な試みだろうと感じられました。


あとは自分の関心の輪の中にある「fluid responsiveness」に関するポスター発表も幾つか聴いて来ました。

***
学会の話から脱線しますが、今年の6月2-3日にカリフォルニアで行われた下記のシンポジウムのまとめが公開されています。
血行動態最適化に興味のある方はどうぞ。

2nd Goal-Directed Therapy Symposium
Hemodynamic Optimization in Perioperative and Critical Care Medicine: From Theory to Practice
***

「産科と区域麻酔」のリフレッシャーコースも聴いてみましたが、こちらでは新しい知識は殆ど得られませんでした。演者が提示した引用文献の、割と多くの部分が90年代や2000年代前半のものだったので、この領域で新しいトピックはないということでしょうか。がっかりしたようなほっとしたような。他にも聴いてみましたが、リフレッシャーコースは日本の麻酔科関連の学会で参加すれば十分な気がします。英語リスニングのトレーニングにこそなりますが、知識についてはASAでもJSAでも得られるものは大して変わりないです。寧ろ、演者の講演中にぺちゃくちゃとお喋りするスペイン語の2人組の前に座ってしまったり、「その写真、家に帰ってから絶対見ないだろ」っていうような、演者のパワーポイントを熱心に写真撮影する異国の人が視界にちらついたりする不快さに遭遇する確率はASAの方が高い印象です。今回を含めて3回目のASAなんだからいい加減気づくべきですね。次回もしこの学会に参加する機会があったとき、自分が絶対聴きたいと思える内容でなければリフレッシャーコースに参加するのは止めよう。

ということで、私の麻酔の知識は大して増えませんでしたが、今後10年くらいに自分が何をすべきか。Washington D.C.への旅は、それを改めてよくよく考えるきっかけになりました。

結局
・学会はoutputの場であって、inputの場ではない。inputできるとすれば、それは教科書的な知識ではなく、やる気や熱意や発表の技法。
・学問を続けるなら、自分の英語力じゃまだ全然ダメ。引き続き生活の一部を英語でやっていこう。
という2点を再確認しました。


そういえば。
翻訳が出たら買おうかな・・・と思っていたパウロ・コエーリョの「Aleph」を成田空港で発見したので道中読みました。次のフレーズは今の私の気持ちを代弁してくれていました。

There’s no point sitting here, using words that mean nothing. Go and experiment. It’s time you got out of here. Go and re-conquer your kingdom, which has grown corrupted by routine. Stop repeating the same lesson, because you won’t learn anything new that way. (p10, Aleph written by Paulo Coelho in 2011, translated by Margaret Jull Costa in 2012 )

―Washington D.C.往復、飛行機上でのセットリスト―
行き
・Megadeth:Th1rt3en
・Lady Gaga:Born this way
・Mastodon:The Hunter
・The Mars Volta:Frances The Mute
・Dream Theater:A Dramatic Turn of Events
 ほか

帰り
・Helloween “Who is Mr. Madman?”
・The Devin Townsend Project:Deconstruction
・Ego Wrappin’ ”色彩のブルース”
・Ten:Stormwarning
ほか

また日本で頑張っていこう。



2012年10月11日木曜日

(本) 孤独な散歩者の夢想 - ルソー (光文社古典新訳文庫、永田千奈訳、2012年)

思わぬ掘り出し物でした。
光文社古典新訳文庫は新刊が出るたびに惰性で買っていて、積ん読本化しています。「ねじの回転」も「トム・ソーヤーの冒険」もまだ途中です。私の読書速度だと全然消化できません。

読まないかもなぁ、と思いつつ先日、夏休みのお供の1冊として本書をスーツケースに入れていたのですが、携帯が圏外になってネットも繋がらない状態、というところに滞在したため仕方なく読み進めてみたところ、あれよあれよと読んでしまいました。

本書は1782年発表。ルソー最後の著作で未完に終わっています。

・私の場合、自分自身に知りたいという思いがあるからこそ、学ぶのであり、他人に教えるためではない。他人に教える前に、まず自分のために学ぶことが必要だと常々思ってきた。私がこれまで世俗のなかで自身に課してきた学問は、たとえ私が余生を無人島で孤独に過ごすことになっても同じように学び続けることができるようなものばかりだ。何を信じるべきかが分かれば、何をすべきかもおおかた決まる。(p46)

・この世の人生は試練でしかなく、神がその試練を与えた目的さえ達成できれば、それがどんな種類の試練かは大して意味がない。つまり、試練が大きく、難しく、頻繁であるほど、それに耐えることが価値を生む。その苦難を十分に埋め合わせるだけのことが必ずあると知っていれば、どんなに厳しい苦難に襲われても、平然としていられる。それ以前から熟考を重ねてきたが、そこから得た最大の成果は、いつかこの不運を埋め合わせるだけのことがあるはずと確信できるようになったことである。(p60)

・だが、忍耐、優しさ、受容、公明正大さ、不偏の正義などは自分が生きていくうえでの財産となり、常に価値を高めていくことができ、死をもってしてもその価値が失われることがない。だからこそ、こうした徳の分野での研鑽こそ、私が今後、余生を尽くして実行したい、唯一の有益な探求なのだ。私自身が進歩を遂げ、生まれたときよりも善良になるのは無理にしても、生まれたときよりも徳の高い人間として死ぬことができたら、幸せだと思う。(p68)

内容はタイトル通りなのですが、なんとも言えない悲哀と滑稽さとルソーの人間臭さが感じられる愛着がわく作品。
もっとこの本を味わうためには私がもっとがむしゃらに生きないと。今出会えてよかった一冊。

2012年10月7日日曜日

(雑) 三連休中日ですね、、

日当直で夜中まで緊急手術麻酔→結婚披露宴→実験→別の友人の結婚披露宴

ってとても幸せなことだと思いますが、私の今の体力には結構キツイでありました。何とか無事に?かどうか分かりませんが、役目をはたし終えました。

麻酔科専門医口頭試験、実技試験を受験された先生方、本当にお疲れ様でした。私は試験の合格に全くと言っていいほど貢献できませんでしたので、このようなことを申し上げるのも気が引けますが、受験された先生方が1人でも多く合格されることを祈っております。

2012年9月30日日曜日

(麻) 麻酔科専門医試験、自分の講演の際に利用した書籍

麻酔科専門医認定筆記試験を今日受験された先生方、本当にお疲れ様でした。大変難しい試験だったとお聞きしました。

今さらですし、受験生なら皆さんご存知のページでしょうが、後で自分がお世話になるかもしれないので貼っておきます。
研修医チャンネルの麻酔科専門医試験対策ページです。先日はじめて知りました。

***
学会発表から1週間以上経ってしまったので、これ以上記憶が風化する前に、今回学術的な面(こちらは発表に際して100篇弱の原著論文、レヴュー論文にお世話になりました)以外で、発表に際してお世話になった本を羅列しておきます。すみませんが著者の敬称は省略させて頂きます。実務経験数年と浅いながらも、自分よりもその道に詳しい先生方が大勢いらっしゃるであろう場所において、何かしらの講演をする必要がある先生のお役に立てれば…と思い記載する次第です。

1.すごい説得力/太田龍樹/知的生き方文庫
2.発表の技法/諏訪邦夫/講談社ブルーバックス
3.論理的にプレゼンする技/平林純/サイエンス・アイ新書
4.理系のための口頭発表術/ロバート・R・H・アンホルト/講談社ブルーバックス
5.「ひとり会議」の教科書/山崎拓巳/サンクチュアリ出版
6.プロ講師になる方法/安宅仁、石田一廣/PHP研究所
7.人は誰でも講師になれる/中谷彰宏/日本経済新聞出版社
8.学生・研究者のための使える!PowerPointスライドデザイン/宮野公樹/化学同人

これらのうち、最も役に立ったのは4です。その次が8です。後は人それぞれ好みが分かれそうですが、2は一読の価値はあると確信します。私が麻酔科医だからかもしれませんが…。

***
夏休みを終えるにあたり、学んだことを羅列しておきたいと思います。

・自分よりも素晴らしい才能をもっている人がたくさんいる。そしてその上絶対真似できないような努力を継続している人がたくさんいる(当たり前ですね)
・どんな人も想像力や気遣いは有限である
・素晴らしいものは確かに素晴らしいが、凡そ金額相応であり、私にはそれが心地よくないようだ
・水の中で体を動かすことは楽しいかもしれない
・もしかしたら自分の膝が快方に向かうかもしれない
・「モモ」は素晴らしい本だった
・「君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?」は興味深い本だった。多分大学生くらいが読むのが一番効能を期待できるだろうけれど、30過ぎの私でも発奮させられる内容だった
・ルソーの著作をもっと読んでみよう
・自分の居場所を客観的に認識して、自分が楽しめて、そして社会の役に立てる仕事を死ぬまでできることはきっとしあわせなことだろう

2012年9月29日土曜日

(麻) ICUでの肝機能障害

Anesthesiology:October 2012 - Volume 117 - Issue 4 - p 898–904

フリー記事です。勉強用に貼っておきます。

2012年9月24日月曜日

(本) 人間の土地 - サン=テグジュペリ (新潮文庫、堀口大學訳、平成10年改版)

人間の土地 (新潮文庫)amazon.co.jpより引用させていただきました。

1939年の作品です。漸く読了しました。
ずっと以前、大学卒業間近、若しくは研修医の頃に初めて購入。当時は数ページ読んでピンとこなかったので放り投げていた状態でした。その後読まなくなっていたので1度ブックオフへ旅に出し、その後それなりの時間を経てからブックオフで再度購入し、それがまた暫(しばら)く積読化していて、今回、遂に陽の目をみた・・・という私と「人間の土地」のそれなりに長い時間関係です。

結果:今回もあまりピンとこなかった。

ですが、何度かうたた寝しつつも最後まで読了できたことは収穫?です。「空のいけにえ」というタイトルで巻末に宮崎駿氏の文章が掲載されている事自体、今回はじめて知りました。本を読むより大切なことはこの世に数えきれないほどありますし、最初から最後まで読んだからといって何も得るものがない・・・それどころか「時間の無駄だった、ということがわかったのが一番の収穫だった」なんてことは、時々あります。そもそも読書によって何かを得ようなんて、そんな邪(よこしま)な考え自体が間違っているのかもしれません。
ピンとこなかった理由の1つには「郵便飛行士」というサン=テグジュペリの仕事自体についての理解が、私の頭では上手くできていないからかもしれません。「星の王子さま」や「夜間飛行」はわかりやすいストーリーがあるので、そのストーリー性に助けられて、何やら重大かもしれない大切なことがすっと心に入ってきていたのかも。(http://fragilemetalheart.blogspot.jp/2011/11/2010.html)
今の私にとって本書は、メッセージが伝わってきにくいものでした。訳文のせいかも・・・などと、自分の感性と想像力の限界を他人のせいにしてみたりもしたくなります。

44ページから引用。

 このときはじめて、ぼくらの邂逅は全(また)かったのだ。長い年月、人は肩を並べて同じ道を行くけれど、てんでに自前の沈黙の中に閉じこもったり、よしまた話はしあっても、それがなんの感激もない言葉だったりする。ところがいったん危険に直面する、するとたちまち、人はおたがいにしっかりと肩を組みあう。人は発見する。おたがいに発見する。おたがいにある一つの協同体の一員だと。他人の心を発見することによって、人は自らを豊富にする。人はなごやかに笑いながら、おたがいに顔を見あう。そのとき、人は似ている、海の広大なのに驚く解放された囚人に。

こんな状況、手術室で時々見かけませんか?
これに類した、愛着の湧きやすい文章を本書の中で10箇所くらいは見つけられましたが、今はこれが精一杯。
この本をもっと味わうためには、私がもっと成長する必要がありそうです。今度は売りに出さずに書棚の片隅に置いておこうと思います。

2012年9月22日土曜日

(麻) 最初(で最後?)の共催セミナー演者までの隘路~240daysを振り返って

あっという間の8ヶ月間でした。一応経過を記録しておきます。

1/26 講演の依頼を受ける。青天の霹靂。
1/27 上司のI先生とTさんに協力を要請、まず考える
2/6 過去の共催セミナーの資料をいただき研究。喋る分野の最近の論文チェックを開始する
2/10 困ったぞ、何だかろくなひらめきがないや・・・
2/11 医局長選挙の後、ランチをしながら再度、上司と相談。モニターや波形の原理、そう、原理的なこととかどうだろう。とI先生と相談する。T先生にも助言をいただきつつ(ご馳走様でした)
2/20 オペ室で上司と相談。いろいろディスカスしているうちにもっと論文読まなきゃダメってことを痛感。
3-4月末:色々な状況から身動きが取れなくなる。長い膠着状態に入る。
5月末~6月上旬:何とか論文数十編読んで、1000文字抄録を作成。
6月11日:抄録提出。4回ほどI先生とメールでやり取りして校正してもらう。大感謝。
7-8月:パート先で予定手術が終わったら発表の準備しよう・・・と毎回大量の文献とMacBook Proを持ち込むも、緊急手術多くて殆ど進まず。
8/30 Tさんたちとおおまかな方向性で打ち合わせ
9/1 I先生にPowerpoint送付して意見いただく。このあたりからオーラルの練習開始。
9/12 学内で予演。
9/19 最終的なスライドチェックをTさんと行う。え、もう3日後なんですけどもうひと直し必要ですか?
9/21 発表前日 会場入りしてホテルで只管最後の喋り練習。
9/22 発表終了。

発表自体が成功だったのかはよく分かりませんが、一仕事終えることが出来ました。それだけで奇跡です。

今日、改めて色々思いました。本当に多くの方々にお世話になっていることを。皆さん自分のやるべきことで大変な筈なのに気を遣って下さる。素晴らしいことです。
皆さん、ありがとうございました。

2012年9月16日日曜日

(雑) 学会準備~パソコン編その2

取り敢えず新しいパソコンを購入。安いのに「もうちょっと安くなりませんか^^;」とお聞きするとあっさり7000円(+ポイント10%)も引いてくれました。ちゃんと儲かってるんでしょうか。
電源入れてからいろんな作業ができるようになるまで1時間ちょっと。KingsoftのOfficeがプレインストールされていたので、
・ウイルス対策ソフト
・Google日本語入力
・Dropbox
だけダウンロードすれば私がしたいことは全て終了。Webの設定はイーモバイルであっという間なので楽ちん。

私が医学生だった頃に、これほどWebだけでも学習できる環境だったら良かったのになぁ、と思う今日です。

(雑) 学会準備〜パソコン編

6月末におかしなことになったLet's Noteがどう足掻(あが)いても直らないことが判明。それどころかもう、ブーンと立ち上がりそうになって色々頑張ってくれるのですが、デスクトップ画面に1時間待っても到達できません。いい加減見切りをつけて、学会用に新しいノートパソコンを購入することにしました。そういえば家のプリンタや掃除機も寿命のようで悲しい限りです。

学会会場へはUSBなどのメディア持ち込みでも良いようなのですが、パワポの文字の位置がずれたり、アニメーションが動かなくなったり、いろんな危険性があるとの先達の教えを素直に聞いての判断です。慣れている発表者であればパソコンでトラブってもそれなりに平静でいられるんでしょうけれど、私はまずムリ。

国産のは高いわりにスペックがイマイチな上に必要ないアプリケーションがいっぱいついてくるので外国産のパソコンにしようかと考え中。ノートパソコンが安く買える時代で本当に良かったなぁ。

学会直前に色々やることが多すぎて、明日のJSCVA日帰り計画は完全に諦めました。

2012年9月13日木曜日

(麻) 学会発表の準備

学会が迫っています。昨日は指導医のI先生に予演を聴いてもらい、スライド1枚ずつについてディスカッションしました。
自分が「ここの箇所はどうかな~?だいじょうぶかな~?」と思っていたスライドの殆ど全てと、自分では気付いていなかった、もっと改良したほうが良いであろう箇所を入念にチェックしていただく。毎日のようにスライドと向き合っていた自分よりも、短時間かつ的確にプレゼンの問題点を指摘してくださることに驚愕とともに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
自分としてはスライド自体はほぼ完成していたつもりだったのですが、まだまだブラッシュアップするべきところ、もっとわかりやすい説明の仕方、一言加えるといいところなど、知識として知っていた筈なのに実践できていなかったことの多くにメスを入れていただき重ねて感謝。貴重な100分間になりました。
あと少し。実験やら何やらがあって、色々と限られた中ではあるけれど、精一杯やってみよう。

2012年9月10日月曜日

(雑) 麻酔科医としての言葉遣いや態度

先日の日勤と当直で全麻と仙骨硬膜外麻酔、脊髄くも膜下麻酔と全麻、脊髄くも膜下麻酔と全麻、全麻、脊髄くも膜下麻酔と全麻、という組み合わせで計5件麻酔しました。途中大きな休み時間もなく大体14時間くらいは麻酔してたみたいです。夜中まとまって4時間くらい眠れたのはよかったのかな。
最近の自分の麻酔を振り返りますと、「ちょっと背骨の位置を確認しますね」とか「大丈夫ですよ〜」などと、語尾に「ね」や「よ〜」が多くなっていました。勿論そのような声かけを是とする患者さんもいる筈ですが、馬鹿にされているように感じる患者さんもいるでしょう。死にそうなくらいに具合が本当に悪ければ言葉遣いなんかどうでもよいかもしれませんが、予定手術を受ける患者さんに対しては、その患者さんの知的水準や要求しているコミュニケーションレベルをひとりひとりきちんと把握する。そして個人個人の生活史の中のおける今日のこの手術(と麻酔)を慮る。ということをさぼりつつあったのかもしれない自分をちょっと反省しました。面と向かって患者さんから何か苦言を呈されたわけではないのですが、呈された時には既に詰んでいるでしょうからね。小さなお子さんの点滴を2回も刺し直したことも反省したいと思います。吸入麻酔で眠った後の穿刺とはいえ痛み刺激は伝わっているでしょうし、穿刺に苦戦している間の患者さんの吸入麻酔暴露時間は無駄以外の何物でもありませんし。

また別の場面では、緊急手術の麻酔の説明時に誤嚥性肺炎や歯牙損傷の危険性を強調して説明している自分がいました。患者さんとその家族を安心させることこそが、インフォームドコンセントの大切な役割だったはずなのに。

医師としてのよくわからない惰性に絡め取られているかもしれない自分をちょっと客観的に見てみると、自分の医師としての一生懸命さとは関係のないところで何かを無くしつつあるのではないかという気がします。そしてそこにこそ医師としての一生懸命さよりも大事なものがあるのではないかと。それがポロポロこぼれているような、いないような。私はパートタイム麻酔科医ですが、だからこそ毎日麻酔をしている人よりも一生懸命やらないといけない。そんなことを思う最近であります。

2012年8月29日水曜日

(音) Gotthardのおすすめバラード 「Everything can change」

Gotthard(ゴットハード)はスイスのハードロックバンドです。1992年から活動してます。
日本での知名度は相当低いと思われますが、いい曲を量産しているバンドです。
ハードロックはあまり好きではないのですが、王道的なロックソング「Make My Day」とかは結構好きです。


今日ご紹介する曲「Everything can change」の原曲バージョンは「Homerun」というアルバムに収録されているのですが、こちらの、ピアノのバラードアレンジの方が僕は好きです。

リンクがすぐ切れてしまいそうですので、一応書いておきますとベストアルバム「One Team, One Spirit」に収録されています。

多分多くの人が気に入るんじゃないかなーと思います。久しぶりに聞きたくなったのでここに貼ってみました。

***
最近やせてる女性の硬膜外麻酔をする機会があるのですが、硬膜外腔まで本当に浅いです。3cmくらいからLoss of resistanceやればいいかなーと昔教わった記憶がぼんやりあるのですが、3cmまで何も考えずに進めたらdural punctureしてただろう症例が何例かあってヒヤヒヤしました。2.7cmとかでもう硬膜外腔です。やはり靭帯を抜けるときの自分の手先の感覚が一番大事ですね。「この体格だからこのくらいだろう」とか思わない方がいいですね。予想は大事ですが予断は禁物です。
低レベルな話で恐縮ですが、皆さんもお気をつけ下さい。

(雑) 久しぶりにレジデント勉強会に参加してみたり

朝から実験してるといつの間にか日が落ちてしまい、あらら今日も1日実験しかしてなかったよという日が断続的にあると、自分が麻酔科医であることをついつい失念していまいがちに。
実験は気楽なものです。って書くとだいぶ曲解されそうですが、指導してくださる先生がいらっしゃいます。勿論自分でいろんなことについてなんでこうなるんだろうとかああしたらいいんだろうかとか考えますけれど、最終的には指導してくださる先生がいるわけです。大変な実験だとしてもあーあがっかり…なネガティブデータがなんぼ出ても意見を聞くことができるわけです。結果を踏まえてどちらにいったらいいかを指し示してくださるわけです。それを必要としない状況に一刻もはやくなるのが大学院生の目標でしょうか?いや、自分に達成できるかわかりませんし、そもそもそれがゴールなのかもよくわかりません。

その点、今、麻酔科医としての私の力が伸びるか縮むかは自分の学ぶ意志だけに依存しているわけです。非常勤の麻酔科医の私に対して怒髪天で指導してくれるような大人はいません。少なくとも私の周りには。いたらいたで多分嫌ですけど。そういう天変地異的なことが起こらないと今まで得てきた麻酔科医としての知識と技術だけで食べてるだけ、食べていくだけになってしまいます。ありがたくためになるお話をしてくださる方はいらっしゃっても、普通の難度の麻酔を普通にやれている(様に一見見えるようになってしまった今くらいの状態)私には、やはり自分に何が足りないか、いや足りない事だらけだけど何を率先して充足させるべきか…。そういった客観的な問題意識を自発的にもたないといけないわけです。麻酔の実力なんて多分あっという間に後輩の先生たちに抜かされます。あーもう抜かされているかも。

ということでだいぶ前置きが長くなりましたが、今日のレジデント勉強会は来月の学会の予行演習的な内容でした。といっても学会まで時間が少しあるので、誤字脱字や日本語のおかしな所を指摘するようなものではなく、もっと実際臨床的な内容―昇圧剤はこの場面でどれ位いってたのか、とか、ここで輸血はじめてるけどこの時点から大量出血が始まったのか、とか、術後どういう経過で退院できたのか、とか、この病気があると凝固異常を起こすことがよくあるのかとか、こういう報告は過去どれ位あってどういう転機を辿ったのかとか。そういう話です。
そういう話を、時間さえ気にしなくていいのならばいくらでも喋りたい。いくらでも興味深いことがある。あぁあれも知りたい、これも知りたい。今ちょっと調べてみたい。きっとああいう風に書いてあるだろう。いや、ぜんぜん違うことが書かれているかも…。あの先生だったらどうコメントするだろう。うーん。だったらこれをこうすればもっとよかったんじゃないか。いやでも文献にはなかなか書かれないような状態なのかもしれない。あぁでもないこうでもない。そしたら・・・あれをああすると次回もっと良くなるんじゃないか。そんなことが考え始めると止まらなくなる。誰かが遮らなければいくらでも喋りたいことがある―そういう感覚があるうちは、僕も自分のことを麻酔科医と名乗っていていいような気がしました。
「これはこうするのが当然でしょ」と何の臆面もなくいったり実行するような時が来たら、私は麻酔科医として死亡でしょう。

やる気を注入されましたので、自分の発表も頑張りたいと思います。

2012年8月27日月曜日

(麻) 結局自腹でBJA買うことにした

iPadで2012年9月号が読めるのを待っていたのですが…これってもう無料お試し期間終了なんでしょうか?
大学の医局でも紙のBJAを購入してくださっているのですが、オンラインで早く読みたいので結局自腹で購読することにしました。金払ってるんだからちゃんと読むぞ~という自分へのプレッシャーも込めて。
まさか英語のジャーナルを自分で買う日が来るなんて思ってもみませんでした。

2012年8月25日土曜日

(本) Work Shift (リンダ・グラットン著、池村千秋訳) 〜 多分僕は死ぬまでモラトリアムです〜



この本を読んで本当にそう思いました。ほぼ同時に読んだ森博嗣氏の「相田家のグッド・バイ」の影響もあるかもしれませんが。

この1週間、考えることが非常に多く、そしてそれは文字にすると陳腐すぎることばかりでブログに文字を入力する気も殆ど起こらず。まぁ、ブログとはそういうものといえばそういうものでしょう。書きたくない時に無理に書く必要なんか全くですし、誰かのレスポンスを期待するような方は他のSNSを使った情報交換の方が向いていると思います。

***
Facebookでも本書を紹介してしまったので、諄(くど)いと思われる方が私のブログを読んでくださっている方の中に何人かいるかも知れませんが、それでも本書を読んだことをここに記録する価値があると思うので書いてみたいと思います。

世の中2030年の原発ゼロに向けての議論が活発なようですが、この本では2025年には世界中の人々がどんな働き方をしているだろうか。それについての悲観的な側面、楽観的な側面双方からシミューレーションされています。単なる想像妄想でのシミューレーションではなく、いろんな統計や著者らがフィールドワークで様々な人から調査したことなどを基にしているようですのでそれなりに信憑性がある話になっています。それは著者自身が研究者であるからでしょう。大した分析や理論的根拠もなく自分の経験談から「これからの世の中はこうなるからこうすべきだ」という仕事論の本は世の中に本当にたくさん出まわっています。私はそういう本を立ち読みするたびに、自分の身の程もわきまえずげんなりして辟易するのです。げんなりする理由は「なぜこの著者は、この私より遥かに賢いはずなのにこんなことしか書けないんだろう」ということです。
しかし、本書はそういう本とは一線を画していると思います。著者自身がお金にまったく困っていないはずなのに、お金に困っていくだろう階層の人の2025年もリアルに分析的に予測しているところは本当に脱帽します。きっと著者のこの女性は、大脳皮質が非常に発達している上に、自分と違う意見が星の数ほど存在することを心から認識し、そしてその相違を心から受け入れている―そういう人なんだろうと僕は思います。

これからは人と人との繋がりが大事で、皆の集合知で様々な困難な問題を解決していく…そうだと思います。大脳をあまり使わなくてもいい仕事はどんどん人間から機械に置換される…そうでしょう。というかもう既に世の中そうなってます。僕が20代を過ごした2000年代を、僕の眼から観察した日本ですらそうでしたから。僕はこの著者が言うところのY世代です。

遊ばなければ高度な専門技能を磨けない。自分のやっていることに胸躍らせ、学習と訓練につきものの苦労を楽しみ、手ごわい課題に挑むことにやりがいを感じてはじめて、私たちは本当に高度な専門技能を習得できる。(p270)

麻酔科医でありながら、自分の仕事のあり方に疑問を持っている人は世の中に少なからずいると想像します。麻酔科医でなくても他の科を専門とする医師でも。
医師として何を極めるのがいいのか、という疑問は多くの若い医師が考えていると思いますが、そういうこと以前に数十年後の自分の生き方を考える。そのために本書は、少なくと2100円の価値はあると思います。私は英語の勉強したくて、ついつい原著も注文してしまいました。早く届かないかなぁ。

2012年8月18日土曜日

(雑) ウルトラミニマウス〜Logicool Cubeきた

Logicool Cubeです。
FacebookでS先生がおすすめされていたので、それ以来気になっていたのですが、今日届きました。持ち運びに超便利で重宝しそうです。


iPhoneの右側の消しゴムみたいなヤツがそれです。マウスです。
左クリックと右クリック、上下画面スクロール、パワーポイントでスライドを進めたり戻したりすることができます。じっくり勉強したり調べ物したりするよりは、カフェなどでのちょっとした調べ物なんかで十分使えそうです。

(音) ローリング・ストーンズ事始め

これまでヘヴィメタルほぼ一辺倒だった(尤もメタルもまだまだ上には上が上がいるのですけど)ので、ロックがとても弱い私。
それを補強すべく、いや別に補強する必要もないだろ…とか思いつつも、時々近所のお店でCDをレンタルするのですが、いつも洋楽コーナーの片隅で気になっていたのがThe Rolling Stones。音楽興味ない人でもバンド名くらいは知っている人が多いはずの超有名バンド。
これまできちんと聴いたことなかったので、暇に任せて聴いてみることにしました。
んでもスタジオ・アルバムだけで20作品以上!いったい、どれ選んだらいいのやら…ということでロックを愛する麻酔科医のオススメに従いまして、下記3作品ゲットしました。
半ば変色した背表紙のCDに手を伸ばすと埃がパラパラ舞ってゲホゲホ咳き込んでしまいました。誰にも借りられずにじっと待ち続けていたんですね…。




















こうしてみるとピンぼけじゃん…。

ということで和洋新旧問わず、あなたのオススメのアルバムがあれば教えてください。

このままだと今年聴いた260余の作品のベストアルバムが「ももいろクローバーZ」の「バトルアンドロマンス」(2011年)になってしまいます!

2012年8月15日水曜日

(雑) どこで勉強すると1番はかどるか??

誠にくだらなく、誰に向けての記載なのかまるで分かりませんが、書いてみたいと思います。
勉強する場としては、ぱっと思いつくだけで下記が選択肢としてあります。

1. 自宅
2. 職場(医局なり控え室の自分の机)
3. 図書館
4. 街の喫茶店やファーストフード店
5. 有料の自習室
6. その他の長時間滞在可能な商業施設
7. 移動の電車の中
8. 新幹線や飛行機の中

1. 自宅
これは一人暮らしか、伴侶がいるか、はたまた子どもがいるか、そして子どもがどれくらいの大きさなのかによって千差万別でしょう。一人暮らしであれば、周りにおいてあるものに時間を奪われなければ好きなだけ集中できると思います。羨ましいです。いや、本当に。嫌味では全くありません。
伴侶がいる人は伴侶の理解度によるでしょう。こちらが集中したくともそうさせてくれないことはままありそうです。況や子どもをや。両親と一緒に暮らしている方も少なからず注意力散漫になるでしょう。ましてや要介護の親御さんであれば家で集中して勉強するのは不可能かもしれません。
 
2. 職場(医局なり控え室の自分の机)
麻酔に入っていない時に、どれくらい集中できるか。周りの同僚先輩後輩とおしゃべりに興ずることなく集中できるか。または周りの人達にどれくらい「今話しかけて来ないでよオーラ」を出せるか、というところでしょうか。本人の努力というより、「どれくらい人にどう思われても気にしないでいられるか」だと思います。後は「あいついつも勉強してるよな」という言葉をどれくらい気にせずいられるか。
麻酔中に本や論文を読む人を見かけることがありますが、私には不可能です。せいぜい薬剤なんかのマニュアルを見る程度です。論文はとてもじゃないけど読めません。患者さんが命がけなのに論文なんか読んでていいのか?!という批判もどこからか聞こえてきそうですが、麻酔中に居眠りするのと論文熟読したり専門医試験の問題集開いたりするのとではどちらがいけないことなんでしょうか。

3. 図書館
街の図書館は意外と混んでいます。中高齢者が熱心に本を見ながらノートを取る姿をよくみかけます。勉強スペースがあっても仕切りがなかったり、席が少なかったりするので気が散って勉強できないかもしれません。また、パソコンのキーボードを打つ音が嫌がられる可能性(もしくは不可)が高く、ネットで何かを調べながら勉強するには不向きでしょう。大学病院勤務なら大学の図書館が使用可能なので、一番落ち着いて勉強できそうです。私はMacBook ProとiPadとWiFiルータとiPod classic等々をリュックいっぱいにして持ち込んで勉強して、図書館から出ようとしたところ、出口ゲートのアラームに引っかかったことがあります。それ以来、軽装で行く事にしています。

4. 街の喫茶店やファーストフード店
これは完全に客層によります。ノイズキャンセルヘッドホンや耳栓や爆音ヘヴィメタルで外界をシャットダウンできる人ならば、壁に向かって座れば1−2時間くらいは勉強可能です。小学生〜高校生が都会のファーストフード店には多くたむろしており視界の端のほうでチラチラと気を散らせてきますので、それが気にならなければ学会準備なんかも結構はかどります。但し、分煙の店で禁煙席に座っても多くの場合服やアタマにタバコの匂いがつきます。そうすると「ちょっとどこ行ってきたの?!」と妻にお咎めを受けることもあるでしょう。

5. 有料の自習室
東京に来てからそういうものがあることを知り、1度だけ使用してみました。東京に限らず大きな都市にはこのような商業施設があり、社会人の資格試験取得者向けに需要があるようです。ですが高いです。私が使用したところでは630yen/hでした。5時間やると3150yenです。105円の文庫本なら30冊買えてしまいます。なんで勉強するのにお金を払わなきゃならないんだ、というのが正直なところですし、1−2時間くらいならスターバックスとかの方が美味しいコーヒーが付く分お得です。ただし静かで清潔ですので、気合を入れてやるにはおすすめなのかもしれません。お金かけた分やるぞ~という貧乏根性があれば頑張れそうです。

6. その他の長時間滞在可能な商業施設
ぱっと思いつくのはカラオケです。ただしカラオケを使用する場合は室内の明るさがどれくらいなのかに注意する必要があります。私は昨年、専門医試験前日に早めに神戸入りしてしまったので、ホテルチェックインまでの時間を使って勉強しようとカラオケに入ったのですが、その部屋があまりに暗くて勉強になりませんでした。すぐ部屋を出ればよかったのでしょうが、数時間熱唱してしまいました。
もう1つ挙げられるのはマンガ喫茶です。ただしこちらも室内の明るさが問題になりますので、そこがクリアできれば、ですが。漫画の魅力に打ち勝つ精神力があればそもそもどこでも勉強できそうですので、そういう方はわざわざマンガ喫茶に行く必要はないかもしれません。また、マンガ喫茶は勉強するためのテーブルというか机というか、スペースが広いところはあまり無いように感じます。マンガ喫茶備え付けのデスクトップパソコンにOfficeが入っていることはありますが、医学用語の変換に時間がかかりすぎるため思わず「Google日本語入力」をダウンロードしたくなります。ということでマンガ喫茶に滞在中、その欲望に抗する気持ちでいっぱいのため、やりたい学習作業は全く捗りません。なのでマンガ喫茶に行く事はだいぶ前にやめました。

7. 移動の電車の中
これはインプットにほぼ限られるでしょう。私は無理ですが、得意な人は得意なようです。英語の論文を公共交通機関で移動中に読むだけでも気持ち悪くなる事が多い私は読書や耳英会話かヘヴィメタルかクラシック鑑賞か睡眠に当ててます。膝の上にノートパソコン置いて一心不乱にキーボードを打つビジネスパーソンを時々見かけますがあれは何をしていらっしゃるんでしょうか?iPadで論文読むという選択肢もありますが、あれはあれで結構重いので、眠い時には重くて落っことしそうになります。
車で移動される方はオーディオブックとかPodcast、iTunes U、各種動画などによる学習になるんでしょうかね。

8. 新幹線や飛行機の中
ネット環境がいまいちなので、ウェブで調べ物をしなくて済む勉強なら捗ります。勿論周りに座っている人が静かでマナーある人ならば、ですが。一度長距離旅行中に新幹線内学習を試みましたが、後ろに座っていた高校生くらいの男の子が「ねぇ、この席に座ってたらまずいんじゃないお母さん。他の席に移ろうよ〜」と1時間以上母君に訴えていたのが気になって全く捗りませんでした。

・・・
ということでいろいろあげてみましたが、大学なりの図書館、もしくは邪魔が入らない医局の机が一番集中できそうです。勉強することが割と習慣化している(尤もそれが仕事とも言えますが)医師は勉強しやすい環境があって、他職種のビジネスパーソンよりも恵まれているのかもしれません。もし皆さんのおすすめ勉強場所があったら是非教えて下さい。お願いします。

あと必要なのは、勿論やる気ですよね…。

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最近、本も気が散って読めないです。三島由紀夫の「金閣寺」にも人生初挑戦してみたのですが100頁ちょっとで頓挫しました。ということで別の本から。

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 おまえの一番大切なことは何かと聞かれると、人によって、誠実であることが重要だとか、愛情が重要だとか、一人一人言い方が違うと言っていいくらいです。たしかにそれはどれもみんな重要でしょう。
 でも、自分にとって真に重要なことは何なんだと突きつけられたなら、僕ならこう答えるでしょう。その時代時代で、みんなが重要だと思っていることを少し自分のほうに引き寄せてみたときに、自分に足りないものがあって行き得なかったり、行こうと思えば行けるのに気持ちがどうしても乗らなかったりする、その理由を考えてみることだ、と。(真贋―吉本隆明、講談社文庫、p209-10)

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今回本書を通読した中では、この言葉だけが、何となく私の心に引っかかりました。また別のときに読めば別の言葉が引っかかるのかもしれません。

自分の心がどちらの方向に向かっているのかを客観的にみるのは、ときにとても難しいです。いや、ほとんど常に難しいです。何故なら自分が自分の心の状態を判定する時に基準となるものは、自分が経験したこと―それは本から得たものや人から聞いたうわさ話、患者さんの過去のカルテから推測できる人生なども含めますが―しかないからです。だから客観的に判定するなんてことはそもそも不可能なのでしょう。

ですが主観的に、その時に自分の心身を支配する感情に、どっぷりと浸かってしまうのが良いのか悪いのか。その判断に迷う時があります。
今がその良いときなのか、悪いときなのか。
それは後方視的にしか分からないような気がしますが、どっぷりと浸かることに抵抗する自分の心を客観的に見ようとする自分が、その自分が自分の中にいることに気づいていられるのは良いことなのかもしれません。

2012年8月11日土曜日

(麻) anesthetic management for pneumonectomy - 肺全摘術の麻酔管理メモ

肺全摘術の麻酔についてです。
意外と情報が得られなかったので、次に担当するときに右往左往しないよう、そして今回の管理よりも向上できるよう、ここにメモ書きを残しておきます。

引用文献はCurrent Opinion in Anaesthesiology 2009, 22:31-37の「Update on anesthetic management for pneumonectomy」です。今の状況にあわない箇所もあるかもしれません。もし記載に大きな間違いがあったり、こうした方がもっと良いです、というのがあれば是非と教えて下さい。よろしくお願いいたします。

***
・30日以内死亡率5−13%(術後ALIは4%)
@術前検査:大きく分けて以下の3つが大事
1. lung mechanical function: FEV1 (ppo>40%)
2. cardiopulmonary reserve: VO2 max (>15ml/kg/min)、階段2階以上、6分間歩行SpO2<4%
3. pulmonary parenchymal function: DLCO (ppo>40%)、PaO2>60, PaCO2<45
 *ppoFEV1%が…
  注:この値は術前FEV1% × (1-%functional lung tissue removed/100) から求める
  ・>40%なら患者の諸々の状態良ければ手術室抜管、
  ・30-40%なら抜管考慮(運動耐容能、DLCO、V/Q scan、併存合併症などを考慮して)
  ・<30%ならゆっくり時間かけて抜管

@手術:後側方切開が標準。血管処置後に主気管支を切離。分泌物が貯留しないようになるべく中枢で切離する。air leak test後閉胸。ドレーンの陰圧を通常の葉切除術と同様に設定して行うと、縦隔が偏移して循環虚脱が起きる可能性がある。

@麻酔
・禁忌なければ硬膜外併用。
・輸血を考慮し大口径末梢ライン。もしくはCVC。
・動脈圧ライン
・肺全摘術後は右心室の後負荷が上昇(PAP↑、PVR↑)し、右室機能低下を起こすので注意
・分離肺換気:二腔換気用チューブ(DLT)でもブロッカーでも可能。左肺全摘なら右用DLTを使う。もしくは左用DLTないし左主気管支に気管支ブロッカーを入れて気管支切離直前に適切な位置に引くことでも管理可能。術前に相談しておく。
・輸液管理:24時間以内に3L以上の輸液投与で急性肺傷害の独立危険因子(Anesth Analg 2003; 97:1558-1565)。腎機能維持を考慮しつつ制限的輸液戦略がよいようである。
  ・そのため、血行動態維持、酸素供給維持のために昇圧薬併用を考慮
 1. 輸液バランス20ml/kgを超えない
 2. 初めの24時間で3Lを超える晶質液投与をしない
 3. いわゆるthird space lossの補充は術中に行わない
 4. 尿量0.5ml/kg/hは必要ない
    5. 術後に組織血液灌流をを上げたいならば、輸液を負荷するよりも侵襲的モニター(注:PACとか?)を参考しつつ、昇圧薬を使用するのが好ましい。
・片肺換気中の呼吸器設定
      一回換気量5-6ml/kg, PEEP5cmH2O, 最高気道内圧<35cmH2O, プラトー圧<25cmH2O

*稀だが閉胸後(直後、<24h)の心ヘルニアに注意。死亡率>50%。心膜が開いていると起こる可能性あり…CVP上昇、頻脈、低血圧、で気づく。発症したら緊急手術が必要。鑑別診断は血胸、肺塞栓、不適切な胸腔ドレーンによる縦隔偏位

2012年8月7日火曜日

(麻) 久しぶりに経食道心エコーの本の紹介


最近、TEEはご無沙汰なので、ちょっと復習しようと思って買いました。8月号のBritish Journal of Anaesthesiaで紹介されていました。Amazonで5000円ちょっと。200ページちょっとで小さめサイズ。それほど重くないです。

Perioperative Two-Dimensional Transesophageal Echocardiography: A Practical Handbook

Amazonで中身見られますので、興味が有る方は見ていただきたいのですが、カラフルな図が沢山掲載されており、診断やJB-POTで覚えるべき公式やら数値もふんだんにつめ込まれております。これが日本語だったらさぞかし売れるだろうな…という本です。あるいは既にどなたか翻訳中でしょうか?
おすすめです。














2012年8月6日月曜日

(麻) 当科のホームページがリニューアルされました

いろいろあってブログの更新が滞っていました。もう8月ですか。この1ヶ月、毎日のように5:00 ± 0:10に起床してしまいます。早起きで勤勉な人間だからではなく、毎晩熱帯夜だからです。

***
当科のホームページです。最近、Y先生が新しくしてくださいました。

http://www.tmd.ac.jp/med/mane/mane-J.html

リンク先にもありますが、来月9月1日に医局説明会を行いますので、興味のある方は是非リンク先の医局長のメールアドレスまでご連絡下さい。初期臨床研修修了後の麻酔研修の相談は勿論、それ以上に経験を積まれた先生方もぜひお越しください。

なんていう宣伝はさておき、食べて飲んで話をするだけで楽しい筈ですので、それだけでよいですね。

***
最近読んでいる本から。

構造と診断 ゼロからの診断学(医学書院)

愚鈍、バカ、アホ。どんな言葉を使ってもよいけれど、ここでぼくの言う愚鈍という言葉はしたがって、知識の多寡をもって判断される基準ではない。百科事典的な博覧強記を誇っていてもバカ、ということはあるものなのだ。問題なのは知識の多寡ではない。自分が何を知っていて、そして何を知らないか。その分水嶺を見据えることができるか、が、その基準である。自分が知らないこと。それを教えてくれるのは他者だけである。他者の言葉や振る舞いだけが、自分の知らない地平を教えてくれる。だから、他人の言葉に一切耳を貸さない頑迷な性格の持ち主は自然「バカ」ということになる。性格と知性は案外、相関しているのである。換言すれば、バカとは他人の言葉に耳を貸そうとしない者のこと、と言い切ってもそんなに間違ってはいないだろう。(p28)

というような感じで、すいすい読めます。

***
塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック (新潮文庫)

いつも本屋に行くたびに見かけていたんですが、「ローマ人の物語」シリーズってず〜っと小説だと思っていました。全43巻も読めないよ…と思っていたので、本書を当直明けの駅の本屋で購入。写真がいっぱいで楽しい。読むというより眺めてるだけで大満足の1冊。
そして遂に全43巻のうち、第29−31巻に手を出しました。マルクス・アウレリウスが登場する箇所です。ということで29巻から読み始めましたが、全く問題ありませんでした。なんだ、もっと早く気付いてればなぁ。

2012年7月30日月曜日

(音) 昨日聴いた楽曲〜スメタナとブラームス

昨日のことですが、当科の先生も2人参加されているオーケストラのコンサートを聴きに行ってきました(曲目は下記。スメタナが先に演奏されました)。西洋芸術音楽のコンサートに行くと、大体毎回中途中途で数秒ほどの意識消失を起こすことがある私ですが、こんなこと初めてかも…ってくらい全編覚醒してました。多分13年前に聴いたヴェルディのレクイエム以来です。この分野の音楽については素人ですので批評は差し控えますが、忙しい麻酔の合間にいつの間に練習してたんだってくらいの完成度であるように感じました。
「わが祖国」は第4曲の「ボヘミアの森と草原から」が一番好きなので、それがなかったのは残念でしたが。
夏バテ気味ですが、素晴らしいものを体験させていただきました。西洋芸術音楽もこういう風に、楽しめた時の感情を大事にして、これから先も楽しんでいければいいかなぁ。
感謝です。

2012年7月28日土曜日

(本) 街場の文体論 - 内田樹 (2012年、ミシマ社) ~ 今年1番熱心に読んだ1冊です

氏の著作を読むのは久しぶりです。「最終講義」以来です。本書は地味な装丁ながら、いやむしろその地味な装丁故に本屋で目に止まり、買って読むことにしました。麻酔の日当直にいく90分の電車の中と、予定手術終了後緊急手術麻酔の連絡でPHSで呼ばれる前までと、緊急手術後に少し転寝(うたたね)した後と、家に帰る電車の中と、お昼ご飯を食べて研究室に細胞の培地交換に行く前迄で読み終えました。この間、他の本を全く読みませんでした。最近の私にはとても珍しいことです。ある本をどのくらいの時間をかけて、そしてどこで読んだかという情報は、人さまにとってはどうでもよいことだと想像しますが、私はこの本に出会えたことにとても感謝しているのでこのように記します。

本書は「言葉にとって愛とは何か?」と帯に書かれている通り、それを様々な形にして伝えようとしている本です。全14講の講義録に加筆したものですが、最後の第14講。私は感動してしまいました。

私は氏の著作を読むのは本書で27冊目です。本書にはこれまでの著作で語られた言葉もそれなりにあります。ですがそれらも「あぁ、またおんなじこと言ってるよ」と食傷気味な感触を読者に覚えさせるのではなく、なぜか本書の中では有機的に機能している気がします。それは恐らく、本書におさめられる元となった講義が、本当に氏が、魂を震わせて、目の前の学生たちに伝えたかったことだったからなのではないか。そう思います。
以下、後々自分が読みたい文章なのでここに引用させていただきます。

***
自分が何を知らないか、何ができないのかを正確に言語化し、自分に欠けている知識や技能や情報を有している人を探し出して、その人から教えを受ける。「知りません。教えてください。お願いします」。学びという営みを構成しているのは、ぎりぎりまで削ぎ落として言えば、この三つのセンテンスに集約されます。自分の無能の自覚、「メンター」を探り当てる力、「メンター」を「教える気」にさせる礼儀正しさ。その三つが整っていれば、人間は成長できる。一つでも欠けていれば、成長できない。社会的上昇も同じです。学ぶ機会をシステマティックに退ける人に階層上昇のチャンスは訪れません。「オレは知っている」「オレはできる」「オレは誰にもものを頼まない」「オレは誰にも頭を下げない」ということを生き方の規律にしている人はそうすることによって階層下位に自分を呪縛しているのです。階層社会の怖いところは、そういう「学ばない」構えが階層下位に向けてのみ選択的に勧奨されていることです。(p128)

この言葉づかいはそれ自体が階層形式的に機能しているんです。「これむずかしくて、意味わからない」という読者は「パーティに呼ばれていない」ということなんです。あなたがたは自分たちの仲間うちのパーティで楽しみたまえ。ここは君の来るところじゃないよ、って。バルトにしてもフーコーにしてもデリダにしてもラカンにしても、「なんで皆さんはこんなにむずかしく書くんですか?」と訊かれたら、さぞびっくりすると思いますよ。「あれがむずかしいと思うなら、君は読者に想定されていないということなんだから、読まなくていいよ」って。
 そう言われると反論のしようがない。でも、そう言われると、僕は腹が立つわけですよ。なんだよ、って。こっちは一億三〇〇〇万の同胞のためにできるだけ質の高い学術情報をお届けしようと必死になっている「輸入業者」なんですからね。(p158-9)

額縁を見落とした人は世界をまるごと見誤る可能性があるということです。(p163)

今の日本では出産も育児も、親の社会的活動に大きな障りとなります。育児負担は経済的にも重いし、就業形態も制約されるし、自由時間もなくなる。独身者との競争では、あきらかなハンディを背負う。
出産育児はさまざまな発見をもたらし、親の人間的成熟に資する「愉快な経験」であるということをアナウンスする人はきわめて少数派です。とりあえず政府は言わない。出産育児を行政が支援するというのは、「さぞお困りでしょう」ということが前提になっている。子育てをしている人たちには「たいへん不愉快なことを受忍していただいている」ということが前提になっている。
幼児虐待の悲惨な事例がしばしば報道されますけど、あれだけ子どもを残酷に扱えるのは、加害者たちが異常に暴力的であったからというよりはむしろ、「子どもというのは親にとって『不愉快なもの』である」という考えがこの親たちに刷り込まれていたからだと思います。(p188) 

僕たちにできるのは、せいぜい自分の思考も感覚も、すべて一種の民族誌的偏見としてかたちづくられているという「病識」を持つことだけです。それしかできない。でも、それができたら上等だと僕は思います。(p259)

そのために有効な方法が一つ知られています。それは母語の古典を浴びるように読むということです。古代から現代に至るすべての時代の、「母語で書かれた傑作」と評価された作品を、片っ端から、浴びるように読む。身体化するというのは理屈じゃありません。ただ、浴びるように読むだけです。それが自分の肉体に食い込んでくるまで読む。
身体化した定型は強い。危険だけれど、強い。というのは、母語の正則的な統辞法や修辞法や韻律の美しさや論理の鮮やかさを深く十分に内面化できた人にはどのような破格も許されるからです。(p262)

受験勉強の勝者になるということを知的達成のモデルに擬した人は、いつのまにか、自分以外のすべての人ができるだけ愚鈍かつ怠惰であることを無意識のうちに願うようになる。学会での論争を見ていると、それが集団的な知のレベルを上げるためになされているのか、目の前にいる人の知性の活動を停滞させるためになされているのか、わからなくなるときがあります。論争相手を怒鳴りつけたり、脅したり、冷笑したりする人は、彼らを含む集団の集合的な知性を高めることをほんとうにめざしているのか。(p270-1)

フランス語のテクストが読めて訳せるというのは、メカに強いとか、料理がうまいとか、音感がいいとか、そういう種類の能力と同じものだと思います。だから、その能力を備えていない人の役にたちたいと思った。料理の上手な人が、美味しいご飯を作ってさしだすことを誰も「啓蒙」とは言わないでしょう。(p274)

***
比較的重症な状態にある患者さんの麻酔を担当しました。患者さんの家族からしてみたら外科医・麻酔科医から怖い話を唐突にされるわけです。昨日まで元気だった家族が、なぜか今日は「死ぬかもしれません」(と私たち医師はオブラートに包んで「命にかかわることがあります」とかなんとか言うわけですが)という状態になっている。これは何だか悪い夢なんじゃないか。なんでこんな目にあわないといけないんだろう。きっともっともっと負の感情で押しつぶされそうになっているはずです。患者さんや患者さんの家族からしてみたら。
そして突然死ぬかもしれませんと冷酷なことを告げに来る医療者に対して「先生方にお任せいたします」と言ってくださるわけです。きっとその心のなかには「本当に目の前のこの人間を信頼していいんだろうか」とか「私が手術や麻酔ができるなら、こんな目の前の何処の馬の骨ともわからない奴に頼むもんか」とかの感情が渦巻いているわけです。
そんな方々を目の前にして私ができることは、自分の良心にしたがって、私が最善と思えることを精一杯やることだけです。そういうふうにしか、私は私のもっている、私が学んできたものを社会に還元できないのです。
でも、きっと恐らく、私の今現在の限られた経験と想像力で書きますが、皆さんそうやって自分の得意とするもので、自分の置かれた場所で生きているはずです。私も自分が得てきたもの、これから得るだろうもの(それは今はわからないですが)、そういったもので社会のお役に立てればいいと思います。
と書くと綺麗事いってんじゃねぇよ、って怒られそうですが、でもやっぱり自分がそうするのが気持ち良いからそうやるわけです。きっと。

なんてことを、おそらく著者の意図しないところで勝手に思わせて下さった1冊でした。感謝です。

興味がある方がいらっしゃいましたら下のリンクから、もしくは書店でどうぞ。