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2012年7月30日月曜日

(音) 昨日聴いた楽曲〜スメタナとブラームス

昨日のことですが、当科の先生も2人参加されているオーケストラのコンサートを聴きに行ってきました(曲目は下記。スメタナが先に演奏されました)。西洋芸術音楽のコンサートに行くと、大体毎回中途中途で数秒ほどの意識消失を起こすことがある私ですが、こんなこと初めてかも…ってくらい全編覚醒してました。多分13年前に聴いたヴェルディのレクイエム以来です。この分野の音楽については素人ですので批評は差し控えますが、忙しい麻酔の合間にいつの間に練習してたんだってくらいの完成度であるように感じました。
「わが祖国」は第4曲の「ボヘミアの森と草原から」が一番好きなので、それがなかったのは残念でしたが。
夏バテ気味ですが、素晴らしいものを体験させていただきました。西洋芸術音楽もこういう風に、楽しめた時の感情を大事にして、これから先も楽しんでいければいいかなぁ。
感謝です。

2012年7月28日土曜日

(本) 街場の文体論 - 内田樹 (2012年、ミシマ社) ~ 今年1番熱心に読んだ1冊です

氏の著作を読むのは久しぶりです。「最終講義」以来です。本書は地味な装丁ながら、いやむしろその地味な装丁故に本屋で目に止まり、買って読むことにしました。麻酔の日当直にいく90分の電車の中と、予定手術終了後緊急手術麻酔の連絡でPHSで呼ばれる前までと、緊急手術後に少し転寝(うたたね)した後と、家に帰る電車の中と、お昼ご飯を食べて研究室に細胞の培地交換に行く前迄で読み終えました。この間、他の本を全く読みませんでした。最近の私にはとても珍しいことです。ある本をどのくらいの時間をかけて、そしてどこで読んだかという情報は、人さまにとってはどうでもよいことだと想像しますが、私はこの本に出会えたことにとても感謝しているのでこのように記します。

本書は「言葉にとって愛とは何か?」と帯に書かれている通り、それを様々な形にして伝えようとしている本です。全14講の講義録に加筆したものですが、最後の第14講。私は感動してしまいました。

私は氏の著作を読むのは本書で27冊目です。本書にはこれまでの著作で語られた言葉もそれなりにあります。ですがそれらも「あぁ、またおんなじこと言ってるよ」と食傷気味な感触を読者に覚えさせるのではなく、なぜか本書の中では有機的に機能している気がします。それは恐らく、本書におさめられる元となった講義が、本当に氏が、魂を震わせて、目の前の学生たちに伝えたかったことだったからなのではないか。そう思います。
以下、後々自分が読みたい文章なのでここに引用させていただきます。

***
自分が何を知らないか、何ができないのかを正確に言語化し、自分に欠けている知識や技能や情報を有している人を探し出して、その人から教えを受ける。「知りません。教えてください。お願いします」。学びという営みを構成しているのは、ぎりぎりまで削ぎ落として言えば、この三つのセンテンスに集約されます。自分の無能の自覚、「メンター」を探り当てる力、「メンター」を「教える気」にさせる礼儀正しさ。その三つが整っていれば、人間は成長できる。一つでも欠けていれば、成長できない。社会的上昇も同じです。学ぶ機会をシステマティックに退ける人に階層上昇のチャンスは訪れません。「オレは知っている」「オレはできる」「オレは誰にもものを頼まない」「オレは誰にも頭を下げない」ということを生き方の規律にしている人はそうすることによって階層下位に自分を呪縛しているのです。階層社会の怖いところは、そういう「学ばない」構えが階層下位に向けてのみ選択的に勧奨されていることです。(p128)

この言葉づかいはそれ自体が階層形式的に機能しているんです。「これむずかしくて、意味わからない」という読者は「パーティに呼ばれていない」ということなんです。あなたがたは自分たちの仲間うちのパーティで楽しみたまえ。ここは君の来るところじゃないよ、って。バルトにしてもフーコーにしてもデリダにしてもラカンにしても、「なんで皆さんはこんなにむずかしく書くんですか?」と訊かれたら、さぞびっくりすると思いますよ。「あれがむずかしいと思うなら、君は読者に想定されていないということなんだから、読まなくていいよ」って。
 そう言われると反論のしようがない。でも、そう言われると、僕は腹が立つわけですよ。なんだよ、って。こっちは一億三〇〇〇万の同胞のためにできるだけ質の高い学術情報をお届けしようと必死になっている「輸入業者」なんですからね。(p158-9)

額縁を見落とした人は世界をまるごと見誤る可能性があるということです。(p163)

今の日本では出産も育児も、親の社会的活動に大きな障りとなります。育児負担は経済的にも重いし、就業形態も制約されるし、自由時間もなくなる。独身者との競争では、あきらかなハンディを背負う。
出産育児はさまざまな発見をもたらし、親の人間的成熟に資する「愉快な経験」であるということをアナウンスする人はきわめて少数派です。とりあえず政府は言わない。出産育児を行政が支援するというのは、「さぞお困りでしょう」ということが前提になっている。子育てをしている人たちには「たいへん不愉快なことを受忍していただいている」ということが前提になっている。
幼児虐待の悲惨な事例がしばしば報道されますけど、あれだけ子どもを残酷に扱えるのは、加害者たちが異常に暴力的であったからというよりはむしろ、「子どもというのは親にとって『不愉快なもの』である」という考えがこの親たちに刷り込まれていたからだと思います。(p188) 

僕たちにできるのは、せいぜい自分の思考も感覚も、すべて一種の民族誌的偏見としてかたちづくられているという「病識」を持つことだけです。それしかできない。でも、それができたら上等だと僕は思います。(p259)

そのために有効な方法が一つ知られています。それは母語の古典を浴びるように読むということです。古代から現代に至るすべての時代の、「母語で書かれた傑作」と評価された作品を、片っ端から、浴びるように読む。身体化するというのは理屈じゃありません。ただ、浴びるように読むだけです。それが自分の肉体に食い込んでくるまで読む。
身体化した定型は強い。危険だけれど、強い。というのは、母語の正則的な統辞法や修辞法や韻律の美しさや論理の鮮やかさを深く十分に内面化できた人にはどのような破格も許されるからです。(p262)

受験勉強の勝者になるということを知的達成のモデルに擬した人は、いつのまにか、自分以外のすべての人ができるだけ愚鈍かつ怠惰であることを無意識のうちに願うようになる。学会での論争を見ていると、それが集団的な知のレベルを上げるためになされているのか、目の前にいる人の知性の活動を停滞させるためになされているのか、わからなくなるときがあります。論争相手を怒鳴りつけたり、脅したり、冷笑したりする人は、彼らを含む集団の集合的な知性を高めることをほんとうにめざしているのか。(p270-1)

フランス語のテクストが読めて訳せるというのは、メカに強いとか、料理がうまいとか、音感がいいとか、そういう種類の能力と同じものだと思います。だから、その能力を備えていない人の役にたちたいと思った。料理の上手な人が、美味しいご飯を作ってさしだすことを誰も「啓蒙」とは言わないでしょう。(p274)

***
比較的重症な状態にある患者さんの麻酔を担当しました。患者さんの家族からしてみたら外科医・麻酔科医から怖い話を唐突にされるわけです。昨日まで元気だった家族が、なぜか今日は「死ぬかもしれません」(と私たち医師はオブラートに包んで「命にかかわることがあります」とかなんとか言うわけですが)という状態になっている。これは何だか悪い夢なんじゃないか。なんでこんな目にあわないといけないんだろう。きっともっともっと負の感情で押しつぶされそうになっているはずです。患者さんや患者さんの家族からしてみたら。
そして突然死ぬかもしれませんと冷酷なことを告げに来る医療者に対して「先生方にお任せいたします」と言ってくださるわけです。きっとその心のなかには「本当に目の前のこの人間を信頼していいんだろうか」とか「私が手術や麻酔ができるなら、こんな目の前の何処の馬の骨ともわからない奴に頼むもんか」とかの感情が渦巻いているわけです。
そんな方々を目の前にして私ができることは、自分の良心にしたがって、私が最善と思えることを精一杯やることだけです。そういうふうにしか、私は私のもっている、私が学んできたものを社会に還元できないのです。
でも、きっと恐らく、私の今現在の限られた経験と想像力で書きますが、皆さんそうやって自分の得意とするもので、自分の置かれた場所で生きているはずです。私も自分が得てきたもの、これから得るだろうもの(それは今はわからないですが)、そういったもので社会のお役に立てればいいと思います。
と書くと綺麗事いってんじゃねぇよ、って怒られそうですが、でもやっぱり自分がそうするのが気持ち良いからそうやるわけです。きっと。

なんてことを、おそらく著者の意図しないところで勝手に思わせて下さった1冊でした。感謝です。

興味がある方がいらっしゃいましたら下のリンクから、もしくは書店でどうぞ。


2012年7月27日金曜日

(本) Zen Mind, Beginner's Mind 再び

先日当ブログで取り上げた一冊ですが、色々と、今の自分に染み入る言葉が多かったので、原著で読みなおしています。抽象的な内容だから英語だと全然読めないかも…とAmazon.co.jpから届くまでは思っていたのですが、意外にもすいすい読めます。もしかすると翻訳を先に読んでいたからかもしれませんが。
寝起きのぼんやりした頭に適度な刺激を与えてくれる本です。

色々とここに記しておきたい文章はあるのですが、一部分だけ引用させて頂きます。

***
 Our Soto way puts an emphasis on shikan taza, or "just sitting." Actually we do not have any particular name for our practice; when we practice zazen we just practice it, and whether we find joy in our practice or not, we just do it. Even though we are sleepy, and we are tired of practicing zazen, of repeating the same thing day after day; even so, we continue our practice. Whether or not someone encourages our practice, we just do it. (p57 MISTAKES IN PRACTICEより)

同部の翻訳です。
曹洞宗では、「ただ、ただ座る」という只管打坐(しかんだざ)を大事にします。実際、これはなにか特別な名前ではなく、座るときはただ座る、という意味です。坐禅をするときは、ただ、坐禅をするのです。それに喜びを感じようと感じまいと、ただ座るのです。同じことを、毎日、毎日、繰り返して、眠くなったり疲れたりしても、それでも修行を続けます。また励ましてくれる人が誰もいなくても、ただ、修行をするのです。(翻訳書のp107)
***

もし興味がある方がいらっしゃいましたら、こちらから購入できますのでどうぞ。

Zen Mind, Beginner's Mind

私が注文したときには、こんな紙が栞がわりに挟まってました。

2012年7月22日日曜日

(麻) 東京麻酔専門医会リフレッシャーコース2日目 (走) 其の百五十壱と百五十弐

産科大量出血について、今日学んだことを一部メモ書きしておきます。

各病院の手術室に配られているであろう

産科危機的出血への対応ガイドライン
ではあまり強調されていませんが、赤血球濃厚液より新鮮凍結血漿(FFP)の輸血を強調されていました。帝王切開で出血量2000mlを超えるような症例では特にDICの発生に注意が必要です。
凝固因子の中でも、とくにフィブリノゲンは低下しやすいので、FFPで補充します。FFP 450mlを投与するとフィブリノゲン値は 30 mg/dL 程度上昇するとありますので、フィブリノゲン値100mg/dlを切っていたら(検査値として出ていなくても、そうであろうことを想定して)、FFPを積極的に輸血することが現時点では推奨されるようでした。
産科大量出血時には、凝固系検査(PT-INRやAPTT)は当てにならないこともあり、また、Hbが7とか8とかで輸血を渋って晶質液・膠質液で粘っているとあっという間に希釈性凝固障害に陥るかもしれない…ということを頭の片隅において術野をよく見ましょう。そして産科の先生とよくディスカッションしましょう。

***
約1ヶ月ぶりに少しだけ走りました。

6/24 2.15km, 15分30秒 8.5km/h
7/22 3.00km, 22分30秒 7.5-9.0km/h
に加えて腹筋、腸腰筋、大胸筋、腹斜筋の筋トレ

右腸脛靭帯炎は回復していなそうでした。本格的に他のスポーツに切り替えるときなのかなぁ。

2012年7月21日土曜日

(麻) EV1000の説明会をしていただきました

EV1000はVigileo/FloTracやプリセップCVカテの進化版とも言えるモニターです。
自分でまだこれを使用しながら麻酔管理したことがないのでなんとも言えないのですが、このモニターがあるから大丈夫!!ってことにはならないでしょう。ASA-PS 3/3E, 4/4E,5/5E、または大侵襲・大出血・長時間手術患者さんの麻酔・集中治療にはとっても心強い味方になるんでしょうけど、初心者にはいろんな値が一度に見えすぎて混乱するような気が。逆に、これまでベテランの先生が匙加減でやっていたかのように見えていた循環管理が可視化され、他のスタッフとより詳細な情報を共有できるモニターであるかのようにも感じます。
いろんな数字をうまく利用するためには、その数字の意味をしっかり理解しなければなりません。なぜその数字が今、表示されているのか。その数字、無視していいのか、気にして介入したほうがいいのか。目の前の患者さんにおいてはどんな意味をもつのか。それを考えるステップを省略してしまっては優れたモニターの意味がありません。どんなモニターもそうですけど、使い手の力量が問われますね。

ちなみに利益相反はありません(当ブロクで取り上げている、いかなる商品の企業とも利益相反はないです)。


2012年7月17日火曜日

コヴィー先生

7月16日に79歳で亡くなられたと、Facebookで知りました。
その著書によって人生が少しばかり影響された、世界中の何千万人のうちの一人として追悼の意を。

2012年7月15日日曜日

(本) 新編 風の又三郎 - 宮沢賢治から

いつ買ったか覚えてないけれど、100円で買った文庫本です。先日日当直麻酔に向かう6時の電車の中で久しぶりに読んでみました。
グスコーブドリの伝記より。

  ブドリはもううれしくってはね上がりたいくらいでした。この雲の下で昔の赤鬚の主人もとなりの石油がこやしになるかと云った人も、みんなよろこんで雨の音を聞いている。そしてあすの朝は、見違えるように緑いろになったオリザの株を手で撫でたりするだろう、まるで夢のようだと思いながら雲のまっくらになったり、また美しく輝いたりするのを眺めて居りました。ところが短い夏の夜はもう明けるらしかったのです。電光の合間に、東の雲の海のはてがぼんやり黄ばんでいるのでした。
 ところがそれは月が出てるのでした。大きな黄いろな月がしずかに登ってくるのでした。そして雲が青く光るときは変に白っぽく見え、桃いろに光るときは何かに笑っているように見えるのでした。ブドリは、もうじぶんが誰なのか何をしているのか忘れてしまって、ただぼんやりそれをみつめていました。受話器がジーと鳴りました。(p245)

これに心動かされるのは、この世に生きる1つの幸福なんじゃないか―そんなことを思います。

2012年7月9日月曜日

(麻) お洒落なビデオ喉頭鏡 ~ King VISION

先週、初めて使わせていただきました。
ディスプレイは非常に見やすいです。軽いし、スタイリッシュなデザインだし、と私も自分用に欲しいです。

米国医療機器デザイン大賞2012に輝いたらしいです。

アコマ医科工業の販売のようです。

自分がブログ書くときに他で既に書かれていないかチェックすることは殆どないのですが、販売元はどこだったかな…と調べてみると既に下記ブロガー先生たちによって記載されてました。流石です…いつも拝見しております。
http://msanuki.com/net/2010/11/king-vision.html
http://eanesth.exblog.jp/15686419/
http://fabius.exblog.jp/16291147/
http://fabius.exblog.jp/18414583/

2012年7月4日水曜日

(本) 医師のためのモバイル仕事術、買いました

最近Appleの手先かってくらいApple製品を推奨するような記録ばかりの拙ブログです。
初版も持っているのですが、こちらのブログに「ほとんど書き直しました」とあったので、盲信して購入。医者向けの本でこれだけの情報量で3150円って安すぎます。私は初版購入時はiPadは持っていなかったのですが、今はこの本をもっと役に立てることができそうです。

ついでに、ではないですが、なんだか大改訂されたという帯に騙されてこちらも購入の「STEP麻酔科」。もう第4版ですか。緑色になってる!パラパラめくると、筋弛緩薬の項目でカギとカギ穴による説明が。あぁ、懐かしいです。自分は初版を読んで(いや、読んだ記憶はあまりない…)いた世代なのです。これを読んで学生に必要な知識?を復習して研修医の先生の指導の一助にしたいと思います。

***
そういえば先日のNEJM。HES対酢酸リンゲルの90日死亡率の多施設比較研究。HESは敗北ですか?この論文で使われてるHESは日本では発売すらされてない第3世代のもので、早く使えるようにならないかなーと思ってただけに、この論文をぱっと見たときはがっかりしちゃいました。

Hydroxyethyl Starch 130/0.4 versus Ringer's Acetate in Severe Sepsis (June 27, 2012 (10.1056/NEJMoa1204242)

Supplementary Appendixが長すぎる…。もう少しきちんと読んで結果を解釈したいと思います。

2012年7月2日月曜日

(本) 集中するための一冊


禅マインドビギナーズ・マインド(サンガ)
ちょっと前に友人にもらった本を読み直してました。

痕跡をとどめないためには、なにかを行うときに、心と身体の全部で行うこと、つまり自分の今行っていることに完全に集中すべきです。完全に集中する。さながら、よく燃え上がっている焚き火のようにします。けぶっていてはいけません。自分自身を完全に燃やしつくすのです。完全に燃やしつくさないと、あなた自身の痕跡が、あなたの行動の中に残ります。完全に燃えきらないものが残るのです。禅とは、つねに完全に燃やしつくして、灰しか残らないことをいいます。これが修行の目的です。(p93-94)

頑張っていこー。


2012年7月1日日曜日

(雑) ますいかバーベキュー

毎年恒例です。私は久しぶりに参加できました。
肉を焼いている写真を撮ろうと思っていたのですが、焼くのに夢中になってて忘れてしまいました。そして「すいか」を撮ろうと思って色々していたら、今度は西瓜を食べるのを忘れてしまい、いつの間にかsold outでした。
幹事の先生、買い出しの先生方、セッティング準備の先生方、その他参加された皆様、どうもありがとうございました。雨にも何とか降られずに済んだのは、日頃の行いがいいから??

(雑) ついにMacBooker(?)になりました

パート先などでこき使っていたLet's Note。立ち上がるのに10分以上かかり、時には立ち上がらないために強制終了して立ち上げ直しが必要、という事態に1週間ほど前から陥ってました。
完全停止するのも時間の問題、と思い、新型の・・・ではなく激安になっていたひとつ前の型のMacBook Proを購入。13.3インチははっきり言って持ち運びにはちょっとかさばりますが、MacBook Airにはドライブがないのでやめました。外付けドライブあります、っていわれても持ち歩くの絶対面倒だし忘れそうだし。なので筋トレを兼ねてProを持ち歩きます。それとともに、家とWifiのネット環境も大幅にすっきりさせることに成功。何を聞いても何でも答えてくれる店員さんっていうのは凄いですね。術前外来にこんな患者さんがきたらちょっとめんどくさいな〜って思ってしまうかもしれないくらい根掘り葉掘り聞いてしまいました。やっぱり先達は必要ですね。
ということで人生初のマックユーザーになりましたが、身の回りが全てAppleとGoogleに取り囲まれてるような気分になって若干息苦しいです。