このブログを検索

2013年12月31日火曜日

(本) 自分の仕事をつくる、ということ



 仕事を通じて、自分を証明する必要はない。というか、それはしてはいけないことだ。
 最大の敵は、常に自意識である。個性的であろうとするよりも、ただ無我夢中でやるほうが、結果として個性的な仕事が生まれる。
 仕事とは自分を誇示する手段ではなく、自分と他人に対するギフト(贈与)であり、それが結果としてお互いを満たす。これは理想論だろうか。
 贈り物は難しい。押しつけでは意味がないし、足下をみるなんてもってのほかだ。その人が欲しているけれど誰にも明かさずにいる、あるいは本人自身もまだ気づいていない何かを、「これ?」といって差し出すことが出来たら、それは最高のギフトになる。p. 274

理想論ではなく、この文章は、そのまま真実をあらわしていると、今の私には思えます。

***
今年最後の音楽。ドイツのハードロックバンド、Fair Warningのセカンド・アルバム「Rainmaker」(1995年)収録の「Burning Heart」を貼っておきます。歌も絶品ですが、2:27-のギターソロは今聴いても色褪せてないですね。


'Cause baby, I know? we must make a move
This world's running out of time
There's a force that keeps pushing me on
I can feel it inside?

This burning heart? sets my soul on fire
And the power of hope is rising up through my veins
This burning heart? drives my souls desire


***
2014年も、このコンフォートゾーンから少しでも踏み出して、今は想像できない世界に行けますよう。
自分が無我夢中でできることに出会えれば、それは最高の幸せだと思いますが、出会えないとしても、無我夢中で毎日を生きられれば、それもまた最高の幸せだと思います。まぁ衣食住足るだけで儲けものです。他は全ておまけです。

今年も大変お世話になりました。皆さんにとってもよい新年になりますよう。

2013年12月23日月曜日

(音) 2013年に出会った音楽のまとめ

2013年、あと8日ありますが、取り敢えず2013年の音楽の総括をしてみたいと思います。

***
そう、私はずっと酔っていました。

ポリーニ氏が演奏する「ブラームスのピアノ協奏曲第1番の第2楽章」に、
ギュンター・ヴァント指揮の「ブラームスの交響曲第3番の第3楽章」に、
カルロス・クライバー指揮の「ブラームスの交響曲第4番の第1楽章」に。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の「マーラーの交響曲第9番第4楽章」に。
ももいろクローバーZの「DNA狂詩曲」に、「Z女戦争」に、「上球物語-carpe diem-」に。
私立恵比寿中学の「大人はわかってくれない」に、「頑張ってる途中」に。
Kalafinaの「Red Moon」に。
Museの「Uprising」に。
B'zの「drive to MY WORLD」に。
The Beatlesの「Girl」に。
MASCHERAの「乱夢」に。
Mr. Childrenの「タガタメ」に、「僕らの音」に。
Therionの「La Maritza」に。
荒井由実の「埠頭を渡る風」に。
山口百恵の「I came from 横須賀」に。
Orphaned Landの「Brother」に。
Keith Jarrettのアルバム「The Melody at Night, With You」に。

そしてライブで聴いた
渋谷でのKamelotの「Prodigal sin」に。
幕張でのBlack Sabbathの「War pigs」に、「N.I.B.」に。
埼玉スーパーアリーナでのCarcassの「1985」に、「Heartwork」に。
埼玉スーパーアリーナでのBABYMETALの「紅月」に。
東京ドームでのBon Joviの「Livin' on a Prayer」に、「Bad Medicine」に。
初台でのエレーヌ・グリモー氏の演奏する「ブラームスのピアノ協奏曲第1番の第3楽章」に。
マリンメッセ福岡でのももいろクローバーZの「猛烈宇宙交響曲•第七楽章「無限の愛」」に、「Z女戦争」に。


これらの音楽に今年新しく陶酔することができたのは、沢山の方々の導きのお陰です。これらの音に全く触れずに今年1年を楽しく生きてきた人がいることを、私はよく知っています。というか99.5%以上の人がそうでしょう。

しかし私にとっては、これらの音楽に、今年新しく~昔1度聴いたものでもその魅力を再発見したというものも含めて~出会えたことは、この人生においては矢張り奇跡のようなことだと思わずにはいられません。
自分の人生において最も悲喜交々の凝縮されたこの年においては。

音楽のない人生は私には考えられません。
また来年、新しい発見を、喜びを、音楽にも見出せますように。

2013年12月20日金曜日

(音) 東京ドームの心室細動

相変わらず実験したり麻酔したり本を読んだり音楽を聴いたり映画を見たり電車に乗ったり走ったり歩いたり…素晴らしき人たちとご飯を食べたりお酒を飲んだりの日々が続いていて、感謝する毎日です。


***


遥か昔のことのようですが、先日、東京ドームのBon Joviのライブに行って参りました。


以下はそのセットリスト。私は10曲目のKeep the Faithから参加出来ました。この日は夕方に緊急手術の麻酔を担当させていただいたため、ライブの最初からは参加できませんでした。思い返してみると、最初から参加できなかったライブは、今回が初めてだったかもしれません。

1、That's What The Water Made Me
2、You Give Love A Bad Name
3、Raise Your Hands
4、Lost Highway
5、Whole Lot Of Leavin'
6、It's My Life
7、Because We Can
8、What About Now
9、We Got It Goin' On
10、Keep the Faith
11、(You Want to) Make A Memory
12、Captain Crash & The Beauty Queen From Mars
13、Born To Be My Baby
14、We Weren't Born To Follow
15、Who Says You Can't Go Home
16、I'll Sleep When I'm Dead
(Rockin' All Over the World)
(Start Me Up)
(Great Balls Of Fire)
(You Shook Me All Night Long)
17、Bad Medicine
(Shout)

18、In These Arms
19、Have A Nice Day
20、Wanted Dead Or Alive
21、Livin' On A Prayer

Bon Joviの中でfavoriteの「It's my life」を聴けなかったのは痛恨ですが、encore最後の「Livin' on a Prayer」では号泣してしまいました。それだけでも参加した甲斐がある素晴らしいショーでした。流石に今回で日本公演100回目、というだけのことはあります。というか、そんな記録、ちょっとやそっとのことでは達成できません。

ということで「It's my life」を貼っておきます。


Like Frankie said
I did it my way
I just wanna live while I'm alive
It's my life

歌詞が人生賛歌です。

***

それはそうと、東京は今日も雨降りでした。


「東京」、「雨降り」という2つの単語で真っ先に連想されるものといえば桑田佳祐氏の「東京」(2002年6月26日発売)です。
先日、友人との会話の中で「ふっ」とこの歌のことが出てきました。私自身、その会話の少し前に、この曲がとても懐かしくなっていたのでiPod classicに取り込んでいたばかりでしたので、吃驚しました。

ということで貼っておきます。ショートバージョンですが。


「東京」の歌詞にこうあります。

幸せと知りながら 心にさす傘は無い

「傘はない」といえば思い出すのは井上陽水氏の「傘がない」です。1992年のコンサート時の動画を貼っておきます。


つめたい雨が今日は心に浸みる
君の事以外は考えられなくなる
それはいい事だろう?

渡り廊下走り隊7の名曲「希望山脈」も貼っておきます。


生きてゆくことは
山を越えること
次から次へと
山々は続く

(中略)

落ち込んでいても
始まらないよ
正面向いたら
運も開けてくるさ

(中略)

立ち止まったら
道が終わるだけ
もう少し頑張れば
頂上
近づいてくる

***

人生、前進あるのみです。もうすぐ2014年です。

2013年12月15日日曜日

(雑) 冬の散歩 - 其の壱 (上野恩賜公園界隈)

気がついたら前回の更新から2週間ほどあいてしまっていました。12月に入ってからの15日の間に11回程、色々な会に参加させて頂いていたためです。

先日、モネ展を見に、上野の国立西洋美術館に行って参りました。有名な「睡蓮」の絵は確かに素晴らしかったのですが、他の絵画は、今の私の琴線に触れるものがあまりありませんでした。
それらの価値が分かるためには、きっともう少し時間が必要なのでしょう。







2013年の残り16日…。もう一山越えられればいいのですが…。

2013年11月30日土曜日

(旅) 秋の小トリップ其の四の3 (宮崎県西臼杵郡高千穂町から大分県由布市) 〜 旅のボトムとトップと

11月も今日で終わりですね。今日は、10月に訪れた九州の旅行記の続きをアップしておきます。

***
ということで、高千穂峡で発見した、若山牧水の歌碑から再開です。


文字が読めないと思いますが、下のように記してあります。


幾山河、越えさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく

若山牧水の短歌の中でも、最も有名なものの1つです。このように、全国各地に氏の歌碑が建てられているようですので、1つ1つ回ってみたいものです。

***
その後は、高千穂町では定番観光コースである「天安河原(あまのやすがわら)」へ。古事記の「岩戸隠れ」の舞台ですね。


仰慕窟(ぎょうぼがいわや)。


このあたりで大体、九州に上陸して43時間でした。

***

どんな旅でも、いい旅だなぁと成功したように感じたり、失敗したと感じたり。そういう気持ちになることってどんな人にもあると思うのですが、この後の何時間かは、私にとって所謂、失敗な時間でした。


宮崎県から熊本の阿蘇山を抜けて大分県に入りました。

宿を由布市にとっていたのですが、由布市街地に入るときには超渋滞。一刻も早く高千穂から由布市に行って温泉に浸かろう、そして由布市に入ってからなにか食べようと車をずっと運転していたために昼ご飯も食べそびれてしまったので、お腹ペコペコの状態で漸く辿り着いたその宿。


・・・。

何故か温泉はないし、市街地からちょっと離れてるし、夕飯付きじゃないし、部屋の内装はやたらと乙女チック(写真は残っていませんが、バスとトイレの壁にはキラキラしたラメが入っていました)だし、ホテルの中に売店はないし…と、一体誰が予約したんだこの部屋、と愕然。

でも、お腹はペコペコだし、かといって、車で外出すればまた無限渋滞に巻き込まれること必定…と思うと、考えるのがだんだん億劫になってきたので、取り敢えず、ホテルの自販機にあったアサヒスーパードライの350ml缶を開けます。

・・・。

・・・。

空腹がビールで満たされたくらいに時間が経つと、先ほど訪れた天安河原付近のお店で買い求めた地ビールが丁度いい塩梅に冷えていましたので、立て続けに2本開けます。


***
しかし、やはり変だ…なぜ遥々(はるばる)東京から大分まで来たのに部屋に篭ってビールを飲んでいるのか…しかしもう外は暗いし、歩いて30分位かかるであろう街まで歩く元気もないし…、と連々と思いながら、今回の旅立ちの時に羽田空港で偶然見つけたこの本を読んでおりました。


よしもとばなな氏の「なんくるない」(新潮文庫)です。

***
 ああ、なんだかいいなあ、急に来たところでこんないい人たちに会って、あったかい人と寄り添って空を見ているなんて夢みたいだ、いい気持ちだ、そう思った。
 この人生はやっぱりこれでいいと思えた。その証拠みたいなものが、たまにこうやって降ってくるから。
 急できらきらしていて、ちょっとわくわくさせるようなことがちゃんとあるうちは、まだまだ気持ちよく手をふって歩いていくことができる。でもそれは追いかけていくと猫みたいにささっと物陰に隠れてしまう。追いかけはしないけれど、私はいつでも待っていた。びっくりするようなそういうことを。 p155
***

こんな素敵な文章が、本のあちこちに散りばめられている本です。その本に収録されている4篇の小説を読み終えると、何故か、ばなな氏の他の著書や、これまた何故かアーネスト・ヘミングウェイの小説が読みたくなって、いてもたってもいられなくなり、書店が由布院駅の近くにあることをウェブで調べて突き止めた後、駅に向かって只管(ひたすら)走りました。


駅はたしかにありましたが、周りは漆黒の暗闇。観光地の夜は更けるのが早い、早すぎます。確かこの時、まだ20時頃だったと思います。

***

由布院でソフィア・コッポラの映画「Lost in Translation」(2003年、米)を何故か思い出すような気分になり、温泉にも浸かれず、読みたい本も読めず…。しかも困ったことにお腹がいよいよ空いてきました。


へなへなと枯れた気分のままに、ホテルへの道を少しばかりしょんぼりした気分のままに、往路の1/3程度の速度でのろのろと歩いていると、お蕎麦屋さんがありました。もしかしたら既に店仕舞いしているけど店内でその日の売上なんかを計算するために人がまだいて、明るく照らされているだけかもしれない…と思いつつも、お店の扉を開けると女将さんらしき方が笑顔で迎えてくださったので、お店の中にお邪魔して、由布院の地ビールをいただきました。


大分名物の鶏天。


由布院で作っている豆腐。


このお店、オリジナルの麦焼酎のロック。


そしてお蕎麦屋さんのお蕎麦。


がらがらに空いているお蕎麦屋さんで、女将さんに沢山の美味しいものを教えていただき、そして色んなお話をさせてもらって、漸くこの日、私は目が醒めたような気分になりました。そうか、あの乙女なホテルを予約したのは、こんな素晴らしい経験をさせてもらう為だったのか…矢張り人生は何があるか分からないものなんだな…と思える1日でした。open mindで居続けることはとても大切なことなのだ。自分が知らない何かに出会うために。

2013年11月24日日曜日

(雑) peri-birthday periodの景色 - TOKYO SKYTREE and my mind

車窓から。恐らくスキー場だと思いますが、まだ雪がありませんでした。


これは首都高から撮影したスカイツリーです。車の助手席から撮影するとなかなかうまく撮れません。


これは上野駅から数分、散歩すると出会える景色です。電線が沢山行き交っているので、奥に鎮座するスカイツリーが、宛(さなが)ら合成写真のような趣を醸成していました。この道は、以前も歩いた筈だったのですが、今日はじめてこんなに存在感のあるスカイツリーに出会えることに気づきました。


ちょっと遠くから撮影。


***
 あっという間に33歳になってしまいました。
なってしまいました…と書くと、32歳までの人生においてやり残したことが沢山あるような、そんなネガティブな印象を人さまに与えてしまうかもしれませんが、私の32歳は十分満喫しました。私の人生では常にそうなのですが、戻りたい過去は1つもありません。それは自分なりに―あくまで自分なりに―今日、この1日を大切に生きようと思って生きているからなのかもしれません。memento mori、carpe diemなのです。

勿論、大切に生きようと思っているのに、心と体が思うように動かなくて、今日という日をもっと大切に出来たかもしれない…と思う日もあります。というか沢山沢山あります。

それでも、自分は刻一刻と死に向かっているのは紛うことのない事実です。そしてそれは、今の私にとって、私の人生において100%確実に起こると思えるたった1つのことです。これは将来を悲観している為にでている言葉ではありません。人は皆死んでしまいます。本当に。

私の32歳は、私の人生において1番酔っ払っていたかもしれませんし(アルコールだけではなく、人や自然や音楽や実験や麻酔や絵画や本や映画、その他のことです)、1番お金を使ったかもしれませんし、人さまから見たら1番停滞していた1年かも知れません。

それでも、私の人生においては、1番、沢山の言葉を―心からの幸福を感じながら―周りの人たちと交わした1年でしたし、「ありがとうございます」という言葉を、きちんと声に出して、文字にして、伝えることができた1年でした。

今年影響を受けた本のうちの1冊。ヘルマン・ヘッセの「幸福論」(新潮文庫版、高橋健二訳)の文章を引用させていただいて、今日は終わり。

***
人間が生活の苦難や危険のただ中にあってもそういうものを楽しむことができるかぎり、つまり、自然や絵画の中の色彩の戯れや、あらしや海の声の中の呼びかけや、人間の作った音楽などを楽しむことができるかぎり、また、利害や困難などの表面の奥で、世界を全体として見たり感じたりすることができるかぎり、つまり、たわむれる若いねこの頭が描く曲線から、奏鳴曲の変奏演奏にいたるまで、犬の感動的なまなざしから、詩人の悲劇にいたるまで、連関があり、無数に豊富なつながり、相応、類似、反映が存在していて、絶えず流れるそのことばから、聞くものに喜びと知恵、冗談と感動の与えられる、そういう全体として世界を見たり感じたりすることができるかぎり、―それができるかぎり、人間は、自分というものにまつわる疑問を繰返し処理して、自分の存在に繰返し意味を認めることができるだろう。 p42
***

もしかしたら、少しは大人になれた1年だったかもしれません。
私の中の謙虚、感謝、諧謔を育んでくださった皆さんに心から感謝したいと思います。どうもありがとうございます。そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。

2013年11月20日水曜日

(旅) 秋の小トリップ其の六 (東京都八王子市) 〜 マーラーの第9番と高尾山の紅葉とICUブックと

いつの間にか11月も3分の2が終了です。クリスマスらしい雰囲気を、街のあちこちで感じられるようになってきました。


既に相当昔のことのように感じられますが、アレクサンドル・ラザレフ指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による以下の楽曲の演奏を体験しました。

・チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲(Vc:横坂源)
・マーラー:交響曲第9番ニ長調

金聖響氏、玉木正之氏による「マーラーの交響曲」(講談社現代新書)でこのような文字に出会えば、期待が高まらないはずがありません。


「これは永遠という別の世界からやって来た作品」といったのは、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンで、音楽教育者や音楽解説者としても有名なバーンスタインとは対照的に、あまり言葉を駆使しない彼も、この作品だけは珍しく凝った表現で評価しています。p280

あの、最終楽章の、最期の「音」。途切れ途切れになって、死に絶えるような消え方、そして消えたように感じられた後も60秒近くタクトを持った手を下ろさなかったラザレフ氏。

その音を体験した後、暫くの間、歩くことがようやく可能な程度に、放心状態になりました。

***

ということで、香川県の大窪寺、小豆島の寒霞渓についで、高尾山の紅葉を狩りに行く機会に恵まれましたので、記録しておきます。


新宿から京王新線に乗って「高尾山口」まで50分程度…で高尾山の麓に到達できました。もっと遠いと思っていたのですが、あっという間です。ここ最近、麻酔の仕事でお世話になっているどの病院よりも近くに、高尾山はありました。
それだけ近くにある山ですから、当然のように沢山のひとひとひとです。ケーブルカーに乗れば、山頂の手前40分ほど(徒歩でおよそかかる時間です)の場所まで6分で連れて行っていただけるのですが、ケーブルカー乗車まで60分以上待ちます、と言われては、待っていられません。自分の2本の足で歩いて登った方が早かったのです。

以下、撮影した順番に並べておいておくことにします。









これは山頂から、西の方角の山々を撮影したものです。正午くらいだと大気が霞んで、しかも逆光になってしまい、遠くの方まで見えませんでした。条件が良いと富士山がくっきり見えるらいいのですが。


これはリンドウ…でいいと思うのですが。もし間違っていたら教えて下さい。




これは北原白秋の歌碑です。

我が精進 こもる高尾は 夏雲の 下谷(したたに)うずみ 波となづさふ

と詠んだものです。



下山したのは14時ころでしたが、その後もあちこち歩き続けていたら、この日の歩数は珍しく20000歩を超えました。

***

 そういえば注文していたICUブック第4版が先日届きました。私は第2版からICUブックを読み始めましたが、今回はじめて原著を購入しました。iPhoneやiPadで読めるe-Bookつきバージョンです。10000円くらいで買えますし、英語は平易ですので、翻訳を待っている時間があれば原著で買うことをおすすめいたします。


p217からp237まで、crystalloidかcolloidか、という章があります。
p234では、このようにまとめられています。簡単に日本語に意訳しますと

1.  normal saline (0.9% NaCl)はノーマルではなく、代謝性アシドーシスの原因になる。
2. 等張の晶質液は血漿容量より間質容量を増加させるし、大量投与によって厄介な浮腫が引き起こる。
3. 血漿容量を増加させるという点では、膠質液は晶質液より優れている。
4. 生命の危機的状況にある患者(severe sepsisやseptic shock状態など)では、高張膠質液(ハイドロキシエチルスターチ)の使用により腎傷害の危険性が高まる。ただし、腎傷害は、より軽傷な患者(術後の患者など)では通常見られない。
5. 「膠質液か晶質液か」論争は不毛である、なぜなら、単剤でどんな循環血液量減少患者も蘇生できるような魔法のような輸液製剤はない。

無難といえば無難なまとめですが、手術室で麻酔を担当する麻酔科医としては、誰にでも通用する術中輸液のレシピなんかない、ということだけ思い出せればいい気がします。
個人的には○○ml/kg/hという輸液法はとうの昔にやめてますし、ヘスなどの膠質液にも以前ほど有用性を見いだせなくなっています。
それは今そんな気分だから、と言ってしまえばそれで終わりなのですが、「この状態ならこれ!」みたいなことを、おいそれと口にできなくなるくらいに麻酔科医として成長したのではないか、と思い込むことにしています。成長の伸びしろはまだまだあるでしょうし、麻酔科医を辞めるその瞬間まで、毎日毎日なにか新しいことを学ぶでしょう。この第4版は、そんなことに改めて思いを馳せることを可能にしてくれた1冊でした。